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紀伊半島の南部に広がる熊野の山中に熊野三山が点在する。そこを巡る三景の道が熊野古道で、伊勢神宮から続く伊勢路や高野山とをつなぐ小辺路などのいくつかのルートがある。そのうちかつての人々が使っていたのが今回紹介する中辺路。京都から船で淀川を下り、大阪へ南下し、田辺市付近からこの中辺路ルートで熊野三山を目指していた。旅の始まりは和歌山県田辺市の中辺路地区。旅の最初に登場するのは滝尻王子。滝尻は地名で王子は参詣者が道中で祈りを捧げる神社で重要な旅の道標になっていた。王子を地図に示すとたくさんあることから九十九王子と呼ばれている。様々な催事も執り行われ、後鳥羽上皇が王子に立ち寄った様子を描いたものでは相撲や神楽の奉納も行われていた。古道歩きでは1000年以上に渡る熊野古道があるが修験者達が修業をするために切り開いたという。ところどころ険しい場所もあり、しっかりとした準備をしている。ここでは面白い体験もでき、胎内くぐりと呼ばれる、岩穴などの狭い割れ目を通り抜けることで、罪や穢を捨てて新たに生まれ変われると考えられていた。
中辺路ルートで最初に到着する熊野本宮大社は熊野神社の総本宮で、ここで祀られているのが家津御子大神。食や生命力を早朝する神様だという。さらに熊野川の中洲にある大斎原は本宮大社の社殿もこの場所にあったが江戸時代に描かれた絵図には大斎原には5棟の社殿や神楽殿などが立ち並んでいた。しかし、明治の水害で大部分を失ってしまい、流出を免れた三棟などを移築したのが現在の本宮大社だという。住む横を流れる熊野川は幾度となく氾濫を起こしており、暴れる川を鎮めるために祈りの場所が大斎原。
はるか昔、大斎原に熊野の神様が3つの月となって舞い降りたという。熊野信仰の始まりとされ、詣でた人が見ただけで涙を流すという大斎原は石垣と祠だけが残っている。次に2つ目の目的地は熊野速玉大社。熊野川も参詣地で、江戸時代に描かれた図会では熊野川のほとりに船着き場があり、大斎原から速玉大社までは4時間の船旅をし、その楽しみが川を取り囲むのは奇岩と伝説の数々。大きな岩は釣鐘石と呼ばれこの岩が落ちたら世界が終わるとされていた。次に御船島は速玉大社の神様が降り立ってこの地で祀られるきっかけになったとされる。その伝説を今に伝える祀りが島を舞台に行われ、御船祭は御神体を神輿に乗せ街を練り歩きながら熊野川に乗せていく。御神体を船へうつしここで登場するのが地元の若者達が漕ぐ船。一番乗りを果たすことが名誉とされる。御船島の周りで力を競い、若者たちに導かれ神を宿した船も到着し、神降臨の再現が行われる。
速玉大社は熊野川河口の街の新宮市にある。主祭神は熊野速玉大神。水の神様だという。新宮市には大斎原同様に自然への崇拝を体感できる場所がある。山の中腹にあるゴトビキ岩はお社をご神体にして神倉神社で磐座信仰と呼ばれる日本人にとって最も古い信仰で近くで見つかった銅鐸は弥生時代に作られたものと考えられる。そして神倉山は日本の建国神話にも登場する。日本書紀では神武が大和へと至る道を示した統制にこの地へ寄ったとされている。
熊野那智大社の主祭神は夫須美大神。女性の神様で人と人との縁を結んでくれるという。そのために縁結びのお守りが人気。巨大なおみくじが名物で那智大社にも信仰の原点になったものがあり、那智の滝がある。日本一の落差があり、鳥居の先には滝だけで、滝そのものがご神体とされた。その思いは今でも変わっていない。熊野は黄泉の国の入り口と言われ、ここを訪れることはそうした力に触れ魂を癒やし生まれ変わることだという。