- 出演者
- 津田喜章
オープニング映像。
震災による原発事故などからの避難で、これまでに2万人が福島を離れた。うち半分ほどは関東地方在住。大多数は避難指示の解除を待たず避難先に定住。今回、そんな移住者らを紹介。
大手ゼネコン社員の山中友仁さんは福島・川内村出身。高校1年で震災・原発事故を経験し、一時は家族で栃木県に避難し定住。父は原発事故で一時仕事を失うも、福島で再就職し単身赴任。現在も川内村に暮らしている。山中さんがゼネコン会社に就職したのは、「震災復興に関わりたい」という思いから。初任地は福島。
埼玉県草加市の獨協大学に通う吉田華さん。生まれは福島第一原発がある福島県双葉町。小学生の頃に原発事故を経験し、単身赴任中の父を頼って東京に避難し定住。避難者であることは友達に明かせず。高校生のころに9年ぶりに地元を訪れたことをきっかけに関心が高まり、その後も度々訪れるように。双葉町で居住が可能になったのは2022年。現在は170人ほどが暮らす。吉田さんは大学卒業後も町に戻らず、都内のIT企業に就職。
福島・双葉町役場は震災後、埼玉県加須市に一時移転。現在も多くの町民が暮らしている。その1人である前田香織さんは、避難指示解除の目処が立たず加須市に家を購入。両親が営んでいた店と自宅は解体された。前田さんも東京でデザイン会社に就職。双葉町の思い出を集めたかるたの制作に携わったほか、震災前の双葉町の自然や伝統をノートに描き残している。今後も、震災前の双葉町をモチーフにした作品を作っていきたい考え。
ここまで、東日本大震災を受けて首都圏に避難した人たちを紹介。福島・川内村出身の山中さんは、地元の復興を目指してゼネコン会社に迷いなく就職。「同級生よりしっかりした人生を送っているのもまた原発のせい、というのは複雑」など話していた。福島第一原発がある双葉町出身の吉田さん・前田さんらにとって、地元に住むことが許可されるまでにかかった期間は11年。双葉町出身者では戻る家がなくなった人も多くいる。
東日本大震災を受けて福島から避難した2200人が暮らす東京。浪江町の元教師・門馬昌子さんは都内在住の娘を頼って夫と避難。2017年に避難指示が解除されたが、放射線への不安から帰還せず。夫は避難から3年後に病気で死去。「原発さえなければ田舎で楽しい老後を送れていた」「悔しくてしょうがない」など話す。夫が最後まで訴えていたのは、原発の廃止。
東日本大震災を受けて福島から避難した1300人が暮らす千葉。双葉町出身の千代田さんは、千葉の親戚を頼って避難。自宅は帰還困難区域にあり、町に戻ることは断念。震災から2年後、千葉に住宅を購入。今でも双葉町に帰りたいと思う気持ちを歌にし、県内で行っている語り部活動の一環で披露している。
ここまで、東日本大震災を受けて首都圏に避難した人たちを紹介。双葉町出身者からは「戻れるものなら戻りたい」という声も。双葉町では今、大手資本のスーパーが入った商業施設が2025年度の開業を予定。町内に住んでいるのは現在100人ほど。
番組はNHKプラスで配信。
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