- 出演者
- 田中裕二(爆笑問題) 太田光(爆笑問題) 阿川佐和子 森迫永依 市川紗椰 ビビる大木 山本博(ロバート) トラウデン直美 露の団姫 松島龍戒 磯田道史 那須雄登(美 少年) 藤井直樹(美 少年) 間瀬遥花
オープニング映像。
最初の謎は「なぜ紫式部は出世できた?」。紫式部は貴族の家に生まれたが位は下の方で無名だった。太田、間瀬、藤井は紫式部の自宅があったことが明らかになった廬山寺を訪れた。紫式部は幼少期、弟よりも先に漢学をマスター。貴族の女性は裕福な貴族と結婚して子どもを生むのが一般的だったが、夫が亡くなったのをきっかけに源氏物語を書いた。近所に住んでいた藤原道長が噂を聞きつけ、彰子の教育係にスカウト。紫式部は彰子に仕えることになった。紫式部が出世できた理由は藤原道長の目に留まったから!?とした。
2つ目の謎はなぜ道長は権力者になれたか。太田、間瀬、藤井は京都市考古資料館を訪れ、道長の権力を示すというお宝を見せてもらった。
2つ目の謎はなぜ道長は権力者になれたか。太田、間瀬、藤井は京都市考古資料館を訪れ、道長の権力を示すというお宝を見せてもらった。道長が建てた法成寺の瓦で、宮殿などにしか使われない貴重なものだった。道長が自分は天皇クラスだと権力を示していた。法成寺の面積は約1万7000坪で、当時最大級だった。
平安時代は呪い全盛期。道長は呪われるのを恐れていた可能性があるという。一条天皇は定子と結婚していたが自分の11歳の娘・彰子を結婚させた。定子は身内の不祥事で出家していた。後の天皇たちにも自分の娘を送り込んだ。道長は罪悪感を払拭するために法成寺を建てたのではないかと考えられている。道長が権力者に慣れたのは半ば強引に娘を天皇に嫁がせたから!?とした。
3つ目の謎はなぜ陰陽師は絶大な力を持てたか。太田、間瀬、藤井は大将軍八神社を訪れた。陰陽師は朝廷の機関で働く国家公務員のような存在で、平安時代には安倍晴明が活躍した。陰陽師は年に1回カレンダーを作り、人々はその内容に極力従っていた。また陰陽師は毎日星を観測し、異変を報告していた。
平安時代に陰陽師によって報告された星の異変の中に日食があった。当時の星空をコンピュータで再現すると皆既日食が起きていた。当時は天体現象が地上に影響を及ぼすと考えられていた。陰陽師は中国から伝わった天文学の知識で異変が起きても冷静に判断ができ、信頼されていった。陰陽師が絶大な力を持てた理由は最先端の学問を使って天体観測することができたから!?とした。
平安貴族の習慣を紹介。起床は朝4時で5時半~10時頃まで働いていたとも言われている。起きると北斗七星にお祈りをしていた。
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4つ目の謎は紫式部はなぜ逃げ出したか。紫式部は宮中で源氏物語を書き始めたが、清少納言が関係していた。紫式部は清少納言を嫌っていたが、2人は会ったことがなかったという。
4つ目の謎は紫式部はなぜ京都から逃げ出したか。トラウデン直美と露の団姫は紫式部が物語の着想を得たと言われる石山寺を訪れた。紫式部と清少納言はそれぞれ女房の一人で、教育係をしていた同じ立場。期間は被っておらず会っていない可能性が高い。漢字の知識をひけらかす女性は嫌われると考えていた紫式部は、清少納言が教養を披露して称賛され自分は才能を表に出せない生活を送っていることに不満が溜まったと考えられている。京都から逃げ出した理由は清少納言への嫉妬と憧れ、そして自分の境遇に不満があったからとした。
5つ目の謎は安倍晴明はなぜ歴史に名を残せたか。太田、間瀬、藤井は安倍晴明が刀に呪力を宿す儀式を行っていた神護寺を訪れた。百済から伝わり天皇家に受け継がれた霊剣再生の儀式で、三日三日晩休みなく行われる。実は安倍晴明は儀式を行っていないという。続いて3人は京都学・歴彩館へ。
5つ目の謎は安倍晴明はなぜ歴史に名を残せたか。太田、間瀬、藤井は京都学・歴彩館を訪れ、霊剣再生について書かれた史料を見せてもらった。儀式にはメインの術者がおり、安倍晴明は助手の立場があった。天皇から褒美をもらった者の欄には安倍晴明の名前が先に書かれていた。儀式の詳細を知る人がいなくなった頃に安倍晴明が書き加えたと考えられている。安倍晴明はなぜ歴史に名を残せた理由は霊剣再生の儀式を自分の手柄として記録したから!?とした。
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平安時代の恋愛の習慣を紹介。平安貴族の恋愛は家の覗きから始まっていた。男性は気になった女性に和歌を送り恋愛人発展していった。スタジオの磯田氏は言葉の力があり影響力がある人が貴族だと考えられた、その後武力がものをいう時代になっていく、平安時代は喧嘩はあったが命を奪うことはあまりなかったと解説した。
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6つ目の謎は藤原道長は本当に傲慢だったのか。「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」の句は娘を后にした直後の宴で満月を見ながら謳ったとされているが、京都先端科学大学の山本さんはそうではないとした。
6つ目の謎は藤原道長は本当に傲慢だったのか。「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」の句は道長が満月を見ながら詠んだとされているが、京都先端科学大学の山本さんは満月ではない日に満月の歌を詠んだ、和歌を読む10年前よく似た表現が紫式部の和歌にある、一条天皇と彰子の間に子どもが生まれたことを祝うために詠んだ「めづらしき 光さしそふ さかづきは もちながらこそ ちよもめぐらめ」という和歌で道長が「つき」の使い方を取り入れた可能性があると指摘した上で「空の月は欠けているが后となった娘たちと客席のみんなとの盃は欠けていない」という父親としての優しさを表した歌とした。道長は娘たちの幸せを心から喜べる家族想いの人物だった!?とした。スタジオの磯田氏は道長は感情政治の達人、誰にいつ何をプレゼントしたか日記に書き留めていたと話した。
最後の謎は藤原氏が栄華を極めるきっかけとなった天皇を陥れた大事件。森迫永とロバート山本は事件が起きた元慶寺を訪れた。道長の父と兄は政治の実権を握るために孫を天皇に立てようと考えたが、そのためには当時の花山天皇を引きずり下ろす必要があった。
最後の謎は藤原氏が栄華を極めるきっかけとなった天皇を陥れた大事件。森迫永とロバート山本は事件が起きた元慶寺を訪れた。TV初公開の貴重な絵を紹介。絵には藤原氏の陰謀で突然出家した花山天皇が描かれていた。事件の詳細は大鏡に記されている。妻を亡くし悲しみに暮れていた花山天皇に道長の兄は「出家のチャンスです」「私もご一緒に出家させていただきます」とそそのかして出家させ、道長の父は幼い孫を天皇に据え自らは摂政の座についた。事件には安倍晴明が加担していた可能性があるという。
京都情報大学院大学の青木教授は花山天皇が出家した日に安倍晴明が星の異変を報告している、このときすぐに報告していれば天皇の退位を食い止められたはずだが間に合わなかった、安倍晴明は数日前から星の異変に気づいていた可能性がありわざと言わなかった可能性もあると解説した。山本教授は道長の父が権力を握ることをわかっていて藤原氏に恩を売ったのではと話した。実際、出家事件以降藤原政権から受けた仕事の数は増えていた。藤原氏が栄華を極めたのは天皇出家の陰謀と安倍晴明の暗躍で成功した!?とした。スタジオの磯田氏は安倍晴明は情報を集める忍者を使って事前に何が起きるか把握していた可能性があると指摘した。
大鏡には安倍晴明は式神に星の異変を報告させていたと記されており、泣不動縁起絵巻には安倍晴明の後ろに式神が描かれていた。スタジオの磯田氏は安倍晴明は式神に忍びのような働きをさせていたのでは、安倍晴明が使っていた式神は生きた人間だと思うと話した。藤原氏が栄華を極めたのは忍者を使って情報を集めていた安倍晴明の存在があり藤原氏は晴明の情報収集能力を高く評価!?とした。