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オープニング映像。
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まずはもののけ姫からサンに告げたアシタカの名台詞。サッカー日本代表がW杯初出場を決めた1997年に劇場公開された、日本の興行成績を塗り替えた大ヒット作。1999年初回放送の世帯視聴率35.1%は「千と千尋の神隠し」に次ぐ歴代2位(ビデオリサーチ調べ)。ヒロイン・サン役の石田ゆり子は、宮崎駿監督に直々に演出を受けるっていう、それは緊張もしましたし、なんて幸せなこんなことが自分の人生であっていいのだろうかと思いながらやっていたと話した。アシタカはサンを守り致命傷を負う、などあらすじを紹介した。詰め寄るサンにアシタカが告げた名台詞が「生きろ そなたは美しい」。
石田ゆり子は、金曜ロードショーについて、子どもの頃から家族で金曜日の夜は映画を観る、素晴らしい時間をくれた番組だと語る。
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オープニング映像。
まずはスタジオジブリ作品。1985年、金曜ロードショーと同じ年にスタジオジブリも吉祥寺にスタジオ開きをした。2代目オープニング映像も宮崎駿監督が原案。演出は耳をすませばの監督・近藤喜文。金曜ロードショーとスタジオジブリ、名シーンから共に歩んだ40年の歴史をたどる。
初めて放送した作品は風の谷のナウシカ。ナウシカの強い覚悟を感じさせる名シーン。ロサンゼルス五輪開幕で盛り上がりを見せる1984年に劇場公開され、翌年、特別番組で初めて放送されて以来、金曜ロードショー最多の20回放送。子どもをおとりとされたことに怒り暴走する王蟲の怒りを沈めるためナウスカが群れへ立ち向かう名シーンを放送した。原作・脚本・監督 宮崎駿。本作の成功がスタジオジブリ設立の大きなきっかけに。
続いては、天空の城ラピュタから放送中にSNS投稿数の世界記録を作ったあのシーンを放送。バブル期に突入した1986年に劇場公開。1988年、となりのトトロ、火垂るの墓の劇場公開に合わせて初放送された。2013年の放送ではバルスと呟く投稿数が1秒間に14万回超えで秒間SNS投稿数の世界記録に。大のラピュタファンだという市川團十郎、市川ぼたん、市川新之助。市川團十郎は、100回以上観てるという。天空の都市・ラピュタの力を使い世界征服を企むムスカ大佐(声:寺田農)を止めるためパズーとシータ。2人がバルスを口にする名シーン。
市川團十郎は金曜ロードショーについて、親父も観ていた、母も、横で見ていると安心する時間帯だった、金曜ロードショー永遠にあれという感じだと話した。
続いては「となりのトトロ」から、トトロの名が生まれた瞬間。東京ドームが開場した1988年劇場公開。いまでこそ多くの人に親しまれるトトロだが、当時興行成績は振るわなかった。ところが1年後、金曜ロードショーで放送されると世帯視聴率21.4%の高視聴率(ビデオリサーチ調べ)。となりのトトロの大ファンの石田ゆり子は、「金曜ロードショーで流れるたびに必ずなんとかして観る」「子どもの頃は(トトロのような)ものが見えていた気がする」と語る。郊外へ引っ越してきた姉妹、サツキ(声:日髙のり子)とメイ(声:坂本千夏)。庭で遊んでいたメイは、不思議な生き物・トトロに出会う。誰もが子どもの頃の純粋な気持ちを思い出す名シーンを放送。
続いては高畑勲監督の名作・火垂るの墓から涙無しでは観られない名シーン。1988年、となりのトトロと同時上映され、1989年金曜ロードショーで初放送。終戦80年の今年8月15日、7年ぶりに放送された。神戸の空襲で母をなくし、身を寄せた通し親戚の家を飛び出し、2人きりで生きようと決めた清太と妹・節子。母の死を妹に悟られまいと明るく振る舞っていた清太。節子から、思わぬ一言が。
続いては「魔女の宅急便」。ひたむきな思いが奇跡を呼ぶ名シーン。1989年、昭和から平成へと移り変わった年に劇場公開。本作から日本テレビが制作に加わり、より宣伝に力が注がれ1989年邦画No.1ヒット。金曜ロードショーでは1990年初放送。ある日突然、うまくほうきに乗れなくなってしまったキキ。そんな中、友達のトンボが事故に巻き込まれてしまう。友への思いが奇跡を起こす名シーン。挿入歌の「ルージュの伝言」荒井由実(現:松任谷由実)を宮崎駿監督はよく聞きながら仕事をしていた。
木村拓哉にとって映画とは、自分がいつもワクワクして観させてもらってるその映画に自分がかかわらせて貰えるので、見てくださる人たちに対して絶対に失礼なことはしたくないし、適当にはしたくないし、監督を担ってくださってる人のOKに対して、全員でタッグをくんでOKを1カットずつ獲得しにいっている、などと話していた。
もののけ姫 4Kデジタルリマスターの告知。
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続いては「紅の豚」からジブリファンなら誰もが知る名台詞。毛利衛が日本人2人目の宇宙に行った1992年に劇場公開。ジブリ作品初の年間配給収入1位(日本映画製作者連盟調べ)。1993年に初放送され世帯視聴率20.9%を記録した。自らに魔法をかけて豚になったポルコ・ロッソ。1920年代のアドリア海を舞台に賞金稼ぎをする。ポルコを案じるジーナにポルコが口にした名台詞。1992年 JALとスタジオジブリの共同制作。
続いては「耳をすませば」 から恋の始まりを予感させる青春シーン。野茂英雄がMLBで新人王を獲得した1995年劇場公開された。監督は近藤喜文。スタジオジブリの劇場公開作品で初めて高畑勲監督と宮崎駿監督以外が監督をした作品。月島雫は、どの貸出カードにも書かれる天沢聖司と言う名が気になっていた。そんな中であったバイオリン職人を目指す少年。カントリー・ロードの日本語訳詞は主人公・雫と同年代だった鈴木敏夫プロデューサーの娘が担当。宮崎駿監督は本作を「自分の青春に痛恨の悔いを残すおじさんたちの若い人々への一種の挑発である」と語る。
「千と千尋の神隠し」から頑張れ!と応援したくなる千尋の涙。2001年に劇場公開されその年、三鷹の森ジブリ美術館が開館。当時の興行収入で日本歴代最高を更新。金曜ロードショーで歴代最高視聴率46.9%を記録した。不思議の街に迷い込んでしまった千尋と両親。千尋の両親は神様の食べ物に手を出し、豚に変えられてしまう。この世界で生き残り両親を助けるため湯婆婆のもとで働くことに。千尋をハクが励ます名シーン。千尋の声を演じた柊瑠美は当時13歳で声優初挑戦。
続いては「ハウルの動く城」からハウルが少女を導く“空中散歩”。木村拓哉は、宮崎駿監督が(ハウルについて)説明してくださったんですけど「彼はね…星に当たってしまったんだね」って言われて、えっ?っていう…。
続いては「ハウルの動く城」からハウルが少女を導く“空中散歩”。アテネ五輪で北島選手が金メダルを獲得した2004年に劇場公開。2006年の初放送の世帯視聴率32.9%は金曜ロードショー全作品中3位。日本テレビタワーに宮崎駿監督デザインの日テレ大時計が完成。ハウルの声を演じた木村拓哉は、宮崎駿監督が(ハウルについて)説明してくださったんですけど「彼はね…星に当たってしまったんだね」って言われて、「えっ?」っていう…。出来上がったものを観た後では監督の説明っていうのは本当に的をえているがアニメーションを観る前に「星にぶつかって島たった少年」と言われて、答えを見いだせないまま作業を始めた思い出があると語った。荒れ地の裾野に広がる街で小さな帽子屋を営むソフィーは街で兵士に絡まれてしまう。彼女を救ったのは魔法使いの青年・ハウルだった。魔法の物語が幕を開けるロマンチックな名シーンを放送。木村拓哉はセリフをすべて覚え台本を持たずに演じた。鈴木敏夫プロデューサー「そんな人は後にも先にも彼だけ」。18歳の少女、ソフィーだが、魔女の呪で90歳の老婆に替えられてしまう。倍賞千恵子の見事な演じ分けが光る名シーンを放送。倍賞千恵子は、おばあちゃんと若い年に変わったときにずっと変えようと思っていたら、監督に「倍賞さん そんなに声を変えなくていいから」と言われたという。