- 出演者
- 平子祐希(アルコ&ピース) 福澤朗 今田耕司 菅井友香 G.G.佐藤 ドリアン・ロロブリジーダ
オープニング映像。
本日のゲストは、元プロ野球選手のGG佐藤さん。1978年、千葉県の生まれ。中学時代、野村沙知代さんがオーナーを務めていた少年野球チーム「港東ムース」で全国優勝。法政大学卒業後、アメリカ・マイナーリーグ1Aでプレー。強肩ぶりが名捕手だった伊東勤さんの目にとまり、ドラフト会議7巡目の指名で日本プロ野球界へ。しかし、松坂大輔投手のスライダーが捕れず捕手を断念。外野手に転向すると、打撃が開花した。2011年、戦力外通告。しかし2012年、イタリアのプロ野球に挑戦。わずか4か月で解雇されるも、当時ロッテの監督だった伊東さんに再び誘われ、1年ぶりに日本プロ野球界に復帰。2014年現役引退。
GG佐藤さんの依頼品は、2008年北京五輪準決勝実使用ユニフォームとスパイク。本人評価額は、46万円。鑑定額は、60万円。「COLLECTIBLES FIELD」代表・山本清司さんは、「オリンピックのユニフォームは非常に出回りにくいので大変貴重、ユニフォームが50万円。準決勝韓国戦はホーム用ではなくビジター用。エラーをしたビジター用のユニフォームであれば、日本野球史に残るユニフォームということでセットで100万円」とコメントした。
千葉県松戸市のカラオケボックスで熱唱しているのは、依頼人・池田こずえさん。依頼品は、四谷シモン作少年の人形。池田さんは、「母が四谷シモン先生の人形教室に通ってて先生から譲り受けた」とコメントした。四谷シモンは、1944年東京生まれ。父はタンゴの楽師、母はダンサー、両親ともに留守が多く、父からもらった人形が幼心を癒した。10歳の頃には人形を作り始め、中学生になると名だたる人形作家の家に押しかけては直接教えを請う。21歳のとき、雑誌に掲載されていたハンス・ベルメールの人形に釘付けとなる。その人形は関節部が球体で接合され、自在に動かすことができ、苦しい試行錯誤が続いた。唐十郎と知り合い劇団「状況劇場」で女形を務めたが、4年で退団し以来人形の製作に全精力を注いでいく。依頼品は、四谷シモンの少年像高さおよそ90センチ。台座には1985年とあることから、41歳の作と思われる。
依頼品は、四谷シモン作少年の人形。本人評価額は、130万円。鑑定額は、200万円。「日本人形文化研究所」所長・林直輝さんは、「作者独特の作風が確立したころの作品で、美少年の人形というのは大変人気があり、展覧会に出品されたものだと評価も倍以上になる。そういう作品に比べると細部の作り込みも簡略化されているところがある」とコメントした。
池田公子さんが持ってきたのは、世界初の家庭用犬型ロボットAIBO。関節を駆使し、まるで本物の子犬のように動く。喜び、怒り、悲しみなどの感情を持ち、育て方によって1体ずつ異なる個性をもつようプログラミングされている。このAIBOは、2000年に15万円で発売されたもの。本人評価額は、3万円。鑑定額は、4万円。エンジニアリングライター・柴田文彦さんは、「第一世代は5000台限定、第二世代は数万台は作られた。ただ電源も入って動くものというのは非常に珍しい」などとコメントした。
佐野守男さんは、カメラを愛する酒店店主。鑑定品は、八九式活動写真銃改二。旧日本海軍航空隊が射撃訓練のために作ったもの。引き金がシャッターになっていて、毎秒10コマの撮影が可能。30年ほど前に7万円で購入した。本人評価額は、20万円。鑑定額は、100万円。「日本カメラ博物館」顧問・谷野啓さんは、「製造会社は六櫻社、現在のコニカミノルタ。八九式というのは旧日本海軍が1929年(皇紀2589年)に企画して、改良を重ね1933年に製造されたので改二と名付けられた」とコメントした。
新しいモノ好きの中山守さんの鑑定品は、ビクター製カラーテレビ第1号機。サイズは21インチ。電器店を営む父が発売直後に54万円で購入。本人評価額は、54万円。鑑定額は、100万円。柴田文彦さんは、「量産体制ではなくて1個1個手探りで組み立てていったという雰囲気が伝わってきて、当時の熱気と苦労が忍ばれる」などとコメントした。
実家が写真店を営んでいた塩見規子さんの鑑定品は、富士写真フイルム製8ミリカメラと編集機と映写機。本人評価額は、30万円。鑑定額は、1万5千円。谷野啓さんは、「3点とも富士写真フイルム、現在の富士フイルムが1980年前後にファミリー層に向けて売り出したもので、事前に電源を入れてチェックしましたが、3つとも動きませんでした」とコメントした。
13年前、2400円で手に入れたスパイ愛用の小型録音機一式。結果は70万円。1955年に西ドイツで作られたスパイ用録音機。1955年1000ドイツマルク=現在の約200万円。日本語で取り扱い説明書がそろっているため希少性が高い。
神奈川県横浜市から依頼人はカメラをかまえる瀬戸口修さん(73歳)。レトロなカメラ。出版社に勤めていて、中古カメラを譲ってもらったという。アイドル雑誌の編集部に配属。表紙のグラビアはハッセルブラッドで撮影するのが決まりだったという。編集担当で写真には詳しくなかったものの、仕上がりに毎回感動していたという。瀬戸口家のネコを撮影したがピンボケ。自社の雑誌で画家の特集が組まれ興味を持った。都内のギャラリーでリトグラフを買ったという。高額の買い物でテンションも上がりしばし店員と立ち話。すると1冊の本をおまけでくれたという。おまけで軽い気持ちで受け取り長年本棚にしまいっぱなしに。最近調べてみたところ珍品とわかりびっくり。アンディー・ウォーホルの「A Gold Book」。友人100人のために作った本だという。1949年ニューヨークの街角を行く普通の成年が13年後、世紀のポップアイコンになる。1928年ペンシルベニア州ピッツバーグの生まれ。両親はスロバキアからの貧しい移民だった。極端に内気な性格で優しい母のそばで絵を描くのが大好き。はやくに父をなくしたため大学で商業デザインを学んだ。1949年ニューヨークへ。初めて得た仕事は雑誌の挿絵。アートディレクターの目をひいたのは特徴的な描線。ブロッテド・ラインという染みつき線。吸水性の低い紙に描いた下絵をインクでなぞり、乾かないうちに別の紙に転写する版画。インクの量や紙の押し当て方により微妙に変化するにじみやかすれが面白い上、同じ下絵を使えば量産も可能。アンディー・ウォーホルはこれを武器にイラストレーターとして立つことを決意。臆病ではにかみや、自身の容姿に強いコンプレックスがあり、営業にまわるのも一苦労。そこで思いついたのが手作りの贈り物。ドローイングをまとめた作品集を友人やクライアントに贈った。愛猫や天使、カラフルなケーキ、手ずから彩色を施した。アンディー・ウォーホルに大きなチャンスをもたらした。有名シューズメーカーのキャンペーンに抜擢された。これを皮切りに売れっ子イラストレーターの仲間入りを果たした。この頃アンディーは友人と世界一周旅行へ。なかでも引きつけられたのがアジアの装飾や美術に使われた金。華やかで美しいものを愛したアンディー・ウォーホルにとって魅力的にうつった。旅から戻ると1冊の本を作った。「A Gold Book」。まばゆい金色の紙にブロッテドラインを駆使したドローイングは味わい深い。アンディー・ウォーホルはクライアントや友人たちにクリスマスプレゼントとして贈った。年下の画家ジャスパー・ジョーンズの日常的なものを淡々と描くことで芸術とは何かを問う姿勢に衝撃を受けると画家になることを決意。歴史に残る問題作を発表。何の変哲もないスープ缶が一つ。そこには詩的で繊細なイラストレーターのアンディーの姿はどこにもない。「A Gold Book」は19点のドローイング。なかには白地の紙にプリントされ手彩のほどこされたものも。発行部数はわずか100部で初期の作品でも入手困難。
お宝大募集中。宛先はテレビ東京・開運!なんでも鑑定団係、詳しくは番組ホームページへ。
アンディ・ウォーホル「A Gold Book」を鑑定。本人評価額は100万円。評価は600万円。現存する作品集も少なくバラ売りされている。全ページ残っているのは希少。1冊1冊違う手彩が施されている。
「ワールドビジネスサテライト」の番組宣伝。JR東日本コード決済開始。
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