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成績が低迷し、集客数も落ち込むなか、1人の選手の手腕に期待が集まった。厳しい現実に直面しても、前を向く。
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- 川上明新潟プロバスケットボール日野明人
24年夏、新潟アルビレックスBBに上越市出身の五十嵐圭らが加入し、鵜澤潤氏がヘッドコーチに就任した。チームはB2、B3と2年連続で降格し、集客数も低迷しているなか、再起をかけたシーズンが開幕。五十嵐は指を脱臼するも、開幕戦、ホーム開幕戦の勝利に貢献した。新潟アルビレックスは日本初のプロバスケットチームとして誕生し、2016年にBリーグが開幕するとB1に所属。18~19年には中地区優勝を経験した。だが、選手の獲得競争で他チームに差をつけられ、クラブ内でのパワハラ問題が判明。悪い流れを変えるべく、糸満盛人社長は五十嵐の獲得に乗り出したのだった。
新潟アルビレックスBBは24年10月下旬から5連敗を喫したなか、五十嵐は敗北慣れして危機感が薄いと感じていた。上越市出身の五十嵐はバスケの強豪校で研鑽を積みたいと、北陸高校に一般受験で進学した。大学、社会人を経て、日本代表にも選抜された。25年の年明け、関東大学リーグMVPに輝いたムトンボ・ジャン・ピエールが加入するなどチーム内の競争は激化していた。チームの外に目を向けると、現在のカテゴリーからB.LEAGUE PREMIER、ONE、NEXTに分けられ、昇格・降格はなくなる。成績ではなく、クラブの経営力が物を言うといい、五十嵐、鵜澤ヘッドコーチはスポンサー企業のあいさつ回りもこなす。
17チーム中、上位8チームがB3プレーオフに進出できるなか、新潟アルビレックスは精彩を欠き、五十嵐の肉体は悲鳴をあげていた。
五十嵐は群馬に自宅を構え、結婚生活は12年目を迎えた。これまでに2度の戦力外通告を言い渡され、群馬のクラブでは出場機会が激減していた。そんな時に新潟からオファーが舞い込み、家族の支えもあって移籍を決断。だが、痛めていた左膝には水が溜まり、左手小指は剥離骨折と満身創痍のなかで戦っていた。レギュラーシーズンの終わりが近づくなか、新潟はリーグ最下位の相手に黒星を喫した。第29節、五十嵐の3ポイントシュートが決定打となり、新潟はプレーオフ進出を決めた。
迎えたプレーオフ、新潟はレギュラーシーズン3位の香川と対戦。第1戦は新潟、第2戦は香川が勝利し、第3戦へ。ルーキーの樋口蒼生ら若手選手たちが躍動し、新潟が勝利をおさめた。成績の他に注目すると、入場者数は昨季と比べて改善していた。プレーオフ準決勝、勝敗の行方は第3戦にもつれ込んだ。最後の20分、五十嵐の3ポイントシュートは入らず、東京Zが勝利。五十嵐は「自分自身があまりいいプレーができなくて、チームを引っ張れなかった」と話した上で、クラブがいい方向に向かっていると感じられたシーズンだったという。
エンディング映像。