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JR米坂線は山形県の米沢駅から川西町、長井市、飯豊町、小国町を通って新潟県村上市の坂町駅に至る。全長90.7km、全線開通は1936年。近年、全線をはしる列車は一日5往復程度。利用者のほとんどが高校生という典型的な地方のローカル路線。川西町の江本一男さんは羽前小松駅を拠点にした地域づくりを担うNPO法人「えき・まちネットこまつ」の理事長。駅の窓口業務や農村と都会の交流行事などを企画している。羽前小松駅の駅長は猫のしょこら。年間3000人ほどがしょこらを目当てに訪れる。
2022年8月3日、山形県と新潟県で猛烈な雨が降った。24時間で362mmの雨が降り、大雨特別警報も発表。米坂線も被災し崩落、線路だけが残った。8月9日、米沢~今泉駅間で運転が再開したが全線の7割を占める今泉~坂町駅間はバスによる代行輸送に。事態の長期化が見込まれる中、JR東日本は調査の結果、被災した箇所は112か所にのぼると発表。元通りの復旧を目指す場合86億円の費用がかかり約5年の工期が必要と試算された。かかる費用の大きさから復旧に難色を示すJR。23年7月、山形県の吉村知事はJRによる自力復旧を求めた。県境の山間を走る米坂線はこれまでも自然災害の影響を受けてきた。特に顕著なのが夏の水害と冬の雪害。元国鉄職員の井上正美さんは1967年に発生した羽越水害の被害が凄まじかったと振り返った。米坂線は羽越水害により小国駅が浸水するなど102か所が被災。国鉄は総力を上げて復旧作業にあたり10か月ほどで復旧したという。当時は復旧が完了した際、駅に多くの人が駆けつけ祝ったというが、現在は年々利用者が減少。JR東日本は不採算路線の収支を公表し利用者が減少している路線の地元へ本当に鉄道が必要か議論を呼びかけている。収支によると米坂線の赤字は18億円にものぼっている。
上田市を走るしなの鉄道の利用者は右肩下がりだったが、花見列車やビール列車など様々なイベントを企画することで客を呼び込んだ。また、収支に大きく関わる合理化も実施。JRから引き継いだ身の丈に合わない過大な設備を整理し費用を削減した。徹底的な改革の結果、2005年度には黒字に転換。こうした努力を見た沿線自治体は2010年しなの鉄道総合連携計画を策定ししなの鉄道を支えるというスタンスを明確にした。現在は2014年から運行している地域ゆかりのう武将真田一族の家紋にあやかった観光列車「ろくもん」が人気。電車と宿泊施設の相乗効果で周辺地域に経済効果をもたらしている。
仙台市の百貨店で有名駅弁が集まるフェアが開催され、米坂線を応援するコーナーも設けられた。署名活動に出向いたのは米坂線の復旧に向け活動している置賜農業高校の学習グループ。江本一男さんともに仙台の人々に署名を呼びかけた。2023年9月、第1回米坂線復旧検討会議が開催。会議はJR東日本・山形県・新潟県・沿線7市町村の自治体で構成された。会議の中で地元側は復旧の必要性を繰り返し訴えたがJR側は復旧費用の分担と復旧後の安定的な運営が課題と主張。災害で被災した鉄道の存廃議論は全国で行われており、岩手県の岩泉線や宮城県の気仙沼線などは多額の復旧費用が枷となり廃止されている。会議を重ねていくごとに米坂線の復旧には高い壁があることを地元自治体は実感していく。JRの試算では利用促進策を講じたとしても米坂線の利用者数は2040年には確実に減少するという結果が。米坂線の沿線では並行して高規格道路の整備が進んでおり、すべて開通すれば大幅な時間短縮が見込まれ、鉄道の存在感はさらに低下する。会議では「JR単独運営」「上下分離」「地域が運営する鉄道」「バス転換」の4つのパターンを想定し議論が進んだ。JR単独での運営を希望する自治体に対し、JRは赤字路線である現実は変わらない、復旧させるならば地元にも覚悟を示して欲しいとつきつけた。
JR陸羽東線は不採算路線。JRの収支公表に危機感を抱いた大崎市は「陸羽東線再構築検討会議」を設置し、職員へアンケートを実施。車通勤の職員の多くが電車でも通勤できるとわかり、市は第2・4水曜を公共交通通勤デーに設定し、陸羽東線の普段使いを促した。陸羽東線は「市立おおさき日本語学校」に通う生徒たちの足としても活躍している。米坂線復活絆まつりが開催された。
NPO法人えき・まちネットこまつが、設立から10年の節目を迎えた。米坂線の4つの運行パターンの提示から半年がたった第4回検討会議でJRは米坂線を復旧した場合の地元負担額の試算を公表。上下分離の場合年間で平均12.8億円から17億円にものぼると判明し沿線自治体は困惑した。山形県はJRの運営を求める姿勢は変わらないとしながらも、列車の運行再開を急ぐことが優先だとの意見を表明。議論が長引けば長引くほど列車が走らない時間が続いていた。福島県の只見線は2011年の水害から復旧まで11年もの時間を要した。もともと利用者数が少なかった只見線だったが11年7月の豪雨の影響で只見駅から会津川口駅区間が不通に。赤字路線だったこともあり、地元には復旧の諦めムードが漂っていたが、只見市出身の酒井治子さんが復旧応援ツアーの企画や存続の署名活動などを実施。只見線は地域の大切な資源と繰り返し地域住民に訴え続け、2017年、JRと福島県が上下分離方式で只見線の存続に合意。沿線自治体を含め毎年3億円以上の地元負担が生じても鉄道を残す道を選んだ。
2024年12月、川西町フレンドリープラザで置賜農業高校演劇部による御礼公演が行われた。公演では架空の農業高校を舞台に米坂線をモデルにしたストーリーを展開。訪れた人々に米坂線の現実を芝居を通して伝えた。2025年1月、山形県は米坂線が走るすべての地域の市町村と鉄道の再開を目指す方針を確認し、地域全体で米坂線の将来を考えることを呼びかけた。