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古代エジプト王国は最初のファラオナルメルから最後の女王クレオパトラまでおよそ3000年続いた。最新透視結果を世界初公開する。古代エジプトは人類最古の文明の一つであり最も長く続いた文明の一つという。
三大ピラミッドは4500年前、この地を支配したファラオたちが親子三代で築き上げた巨大遺跡。クフ王のピラミッドは147メートルで石の数は推定230万個。4500年前の建造当時、ピラミッドは化粧石で覆われ太陽の光を浴び白く輝いていた。狭い通路が上へ上へと伸びている。王の間の奥にはクフ王の棺が置かれている。王の間は地上43メートルの高さ、クフ王が太陽に近づこうとしたためという。
ピラミッドは内部がどうなっているか全て明らかになっている訳ではない。屋根のように石が組まれた場所からカメラを差し込むと通路が見つかった。女王の間はピラミッドの石の重さに耐えきれず壁にひびが入り、通路も建造中止になったと考えられる。王の間も女王の間と同じようにひびが入った。王の間の棺からクフ王のミイラは見つかっておらず、クフ王は別の部屋に埋葬された可能性がある。名古屋大学と高エネルギー加速器研究機構の調査で透視。宇宙線ミューオンの数と方向を詳細に分析すればピラミッドの中に隠された空間の場所や大きさが見えてくる。
クフ王のピラミッドとほぼ同じ大きさのカフラー王ピラミッド。内部構造はほとんど分かっていない。太陽を目指した父のピラミッドとは対照的で地下への通路が続いている。部屋の奥にはカフラー王の棺が置かれているがミイラは見つかっていない。カフラー王は野心家で、自分のピラミッドの前にスフィンクス像を作った。
日本の科学者たちがカフラー王のピラミッドに入った。透視フィルムや透視装置を設置し、24時間体制でミューオンを観測する。透視の制度を上げるため3年近く観測を続けた。
カフラー王のピラミッドにクフ王の大ピラミッドのような巨大な空間や通路はないと考えられる。ピラミッドの真ん中を中心に透視したが範囲外もあった。今回の透視範囲の中にクフ王の大ピラミッドのような複雑な内部構造は見られなかった。当時の建築技術では地上部分の部屋を作ることは危険だと判断、父クフ王とは異なる神への信仰を取り入れたことなどが理由という。
息子カフラー王は太陽神を目指した父と異なり地下を目指した。棺を地下に埋め込み、古代エジプトでは太陽が沈む地下に死後の世界冥界があると信じられていた。オシリスは死者を冥界で裁き正しく生きたものを復活させる。ピラミッドの位置は綿密に計算されていて、夏至の頃に2つのピラミッドの真ん中を太陽が沈んでいく。
親子のピラミッドの間を太陽が沈むことをアケトと言う。地平線の彼方に冥界があるという。ピラミッドは再生・復活の思想を古代エジプトの人々に伝え続けた。
王家の谷は古代エジプトが最も栄えた時代のファラオたちが眠る墓地。奥にそびえる山を天然のピラミッドに見立て、その麓に数多くの王墓が作られた。墓からは黄金の玉座や貴重な宝石をふんだんに使ったアクセサリーなど5000点もの副葬品が見つかった。玄室は鮮やかな壁画で彩られている。しかしこの墓はツタンカーメンのものではないという。ツタンカーメンは元々別人のために作られた墓に埋葬されたとダマティ博士は考える。
カノポス棺はツタンカーメンの内臓のミイラを納めていた入れ物。内側は古代エジプトの象形文字ヒエログリフが書かれていた。ネフェルティティという人物を表し、ツタンカーメン にとっては義理の母。壁画は女王ネフェルティティのために後継者のツタンカーメンが儀式を執り行う場面という。
黄金の厨子について、王墓発見時棺は厨子に覆われていた。入口から玄室までツタンカーメン王墓は30メートル、一般的な王墓は約100メートルという。
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- ツタンカーメンの墓
ツタンカーメン生まれた街、アマルナ。空から見ると砂の中に住居や神殿の跡が今も残る。アクエンアテンは神官たちの力を削ぐため、伝統の多神教から一神教への改革を決意した。アテン以外の神々への信仰を禁止。皆既日食から程なくしてアクエンアテンはこの世を去る。復活再生への信仰を奪い、太陽神にまで見捨てられたファラオに人々は強い怒りを向けた。棺の顔は無残に割られている。
ツタンカーメンはわずか6歳、アクエンアテンの死に乗じて周辺国がエジプトに侵略を繰り返し王国は危機的状況にあった。ネフェルティティはアクエンアテンの死後王位に就きファラオとしてエジプトを統治した。一神教から多神教の国へと戻し、ツタンカーメンは古代エジプトが繁栄した時代を取り戻した。しかしツタンカーメンは20歳前後で謎の死を迎えた。王の墓を掘るには長い時間が必要だがツタンカーメンの死は突然だった。墓作りが間に合わず、ネフェルティティの墓が利用されたという。壁の奥には何かがあると考えられる。
NHKスペシャルの次回予告。