- 出演者
- 近田雄一
今月で発刊から100年を超える歴史に幕を閉じる大阪日日新聞。全国紙がひしめく大阪の地で何を伝えようとしてきたのか、最後の日々に密着する。
- キーワード
- 大阪日日新聞
新聞を取り巻く環境は厳しさを増し、中でも地方紙や地域紙の休刊が相次いでいる。大阪日日新聞が今月休刊を迎える、厳しい環境の中で記者らはどんな思いで地域の話題を取材進めてきたのか密着する。
大阪日日新聞社・木下功さんは記者として20年、大阪府内を隈なく学び街ダネを発掘とくに地域経済の息吹を伝える情報を紙面づくりの柱の1つとしてきた。木下さんは大阪・西成区で活動するNPO法人を10年以上に渡って取材、街の正直な情報を届けたいというNPO法人代表・上田さんの気持ちを汲み取り記事にした。明治44年に創刊した大阪日日新聞は戦時中一時休刊を経て夕刊紙として復活、政権を騒がせた事件や暴力団ネタを連日一面トップにし仕事帰りの人の心を鷲掴みにしたが90年代以降は発行部数が低迷、2000年には経営が破綻し鳥取の新部社が経営を引き継ぎ再び日刊紙としてスタートした。しかしここ数年が発行部数が低迷、ことし7月末に休刊が決まった。
斎藤架奈枝さんは20年以上に渡ってOSK日本歌劇団を取材、200以上の記事を執筆してきた。2002年6月、OSK日本歌劇団に解散の危機が迫る中、斎藤さんはOSKの魅力を一から伝える連載を始めた。7月19日、斎藤さんは最後の特集記事を書くため取材に臨んだ。地域に根ざした取材を続けてきた木下さんはIRについて市民グループが起こした訴訟を取材するため大阪地方裁判所を訪れ、市民らが懸念していたことを知事に質問した。この日を最後に木下さんは大阪日日新聞の記者として行政への取材を終えた。
大阪日日新聞の休刊について、近畿大学・金井啓子氏は発行部数が少なかった、2000年に鳥取に新聞社に買収後もかなり経営環境は厳しかった、さらに大阪は全国新聞が多くひきしめき千穂新聞が生き残るには難しかったしネットニュースの台頭もあるなどと話した。金井は新聞そのものの良さは情報源が明確である、ローカルに特化した確かな情報を広く深く継続的に伝え続けるkとができる。埼玉新聞では街紹介・地域イベントなどの取材を市民が行う市民記者の育成に図っている。金井氏は新聞の良さ・面白さ・価値を良くわかって居ない人が多い、メディアの人々らの信頼を取り戻せるかどうかなどと話した。
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