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大阪出身・中江有里さんと10代をこの界隈で過ごした松尾諭さんが誕生から今年100年を迎える甲子園球場周辺を紹介する。
夏の甲子園名物の誕生秘話や必勝祈願の神社の衝撃の事実、伝説の超豪華リゾートホテルの現在の姿など、球場とともに歩んだ街の100年を紹介する。
「甲子園歴史館」の展示物は、阪神タイガース往年の選手の貴重な写真や野球道具、高校野球全国大会出場校のユニフォームなど多岐にわたる。入り口すぐには昨年の日本一の時のチャンピオンフラッグや試合球などが展示されている。歴史を紹介するコーナーでは、甲子園が4カ月で完成したことや、馬術大会や歌舞伎の上演が行われていたことが紹介されている。スキージャンプ大会は新潟県から雪を運んで実施したという。見学コースでは試合が行われていないときにバックスクリーンに入ることが出来る。
甲子園のライトスタンドのすぐ近くにある「甲子園素盞嗚神社」を中江さんが初めて参拝。約400年前からこの地で伝わる「甲子園素盞嗚神社」にはタイガースの歴代監督・選手・高校球児などが勝利祈願に訪れる。宮司さんは「『球場の裏の神社』とよく言われるが神社の裏に球場ができた」と話した。かつてこの地は武庫川の支流に挟まれた三角州で、度々水害に見舞われたために素盞嗚命を祀った。もともと外野側は土盛りのスタンドで、木に登ってタダで試合を見ようとする人も多く、登るために下からお尻を押す『押し屋さん』というアルバイトもあったという。
球場とともに歩んできた甲子園界わいはタイガースはもちろん、高校野球に関わる場所もたくさんある。球場近くにあるホテルは長年、高校野球の球児を受け入れている。かつて、球場の周辺には高校野球の大会期間中に球児が泊まる宿が何軒もあったが、今は2軒のみが営業を続けている。島田昭一さんがおよそ40年にわたり、守り続けているホテルは旅館から建て替えたが、球児たちが泊まる広い和室や大浴場はそのまま残していた。かつては球場の中に球児ための宿泊スペースがあったが、「落ち着かない」と島田さんの旅館が選ばれた後、全国から高校野球球児を受け入れ、昭和60年からは東京代表の宿舎となった。球児たちが滞在中に揃って集まる大広間はミーティングはもちろん、食事が球児たちの一番の楽しみだ。島田綾子さんが大会期間中に出したメニューを記録したノートを見せてくれた。メニューは各学校と相談して決めていて、栄養バランスを考慮し、生物をさけるなど、体調第一で考えている。球児たちを70年以上、支え続けてきたホテルだ。
高校野球に関わりが深い「かちわり氷」は夏の甲子園名物で、高校野球観戦には欠かせないもので、冷えた氷で涼をとったり、溶けた水でのどを潤したりできる。すし店を営んでいた初代が、すしネタを冷やす氷を球場に納品していたことをきっかけに「かちわり氷」が生まれた。当時は球場内で氷柱を割り、小さな袋に詰め替えて売り子がスタンドを周って販売していた。72時間かけてゆっくりと凍らせることで、暑い夏でも溶けにくい氷ができるそうだ。
球場がある甲子園界隈は阪神電鉄の開業当初、沿線開発の一貫でつくられた町。昭和11年の絵図では、当時この地が一大リゾートとして開発されていたことがわかる。遊園地やテニスコートなどさまざまなレジャー施設がつくられたが時代の流れとともにその大半が姿を消したが、球場と同時代につくられ、今も現役という貴重な建築が残されている。1930年に甲子園ホテルとして建てられた建物で遠藤新氏が設計。関西で初めてできた超豪華リゾートホテルだったが、太平洋戦争の影響で廃業。昭和40年に武庫川女子大学 甲子園会館となった。見学も可能ということで案内していただく。ホテル営業時の宴会場だった場所はいまは建築学部の学生の入学式や卒業式などのイベントに使われている。建物に採用されているモチーフのひとつは水のモチーフで、水滴が滴り落ちる様を装飾に取り入れている。また甲子園会館の中にはいろんなタイプの打ち出の小槌のモチーフがあるそうだ。かつて食堂だった場所は現在は建築学部の教室として使われている。建物を実測し図面化する実習や、瓦の復元しての修復作業なども行われている。かつての一大リゾートの面影を今に伝える建物だ。
中江さんは「甲子園に来たら球場にまっしぐらでそれしか実は知らなかったんだなと思った。神社の裏に球場があるということを忘れてはいけない」、松尾さんは「印象深かったのは甲子園ホテルでお話聞いた時、ずっと意味を持ち続けているからいまだに生きてあそこに建っている。甲子園球場もそうだと思う」などと話した。