- 出演者
- 大久保沙織 安藤咲良 田崎さくら 山本里咲 直川貴博
オープニング映像。
直川貴博キャスターが福島県双葉町から中継。地震の影響でガラスが割れた時計が指し示す時刻は、午後2時46分。地震が発生した時刻で止まったまま。隣の時計は午後3時38分で止まっている。双葉町の隣町の浪江町に津波が到達した時刻。15年前のきょう、浪江町を高さ15mを超える大津波が襲った。15年前に事故を起こした福島第一原発から4キロほどの場所に位置するこの施設では、津波に地震、これまでに経験したことのない原子力災害という複合災害を後世に伝え、防災・減災に向けた教訓を国の内外に発信していく施設。福島第一原発の模型を紹介。発災の翌日、福島第一原発の1号機が、14日には3号機の原子炉建屋付近が水素爆発を起こす。放射能の影響で原発の周辺に住む人たちは避難を余儀なくされた。いまも故郷に帰れない方が2万人以上いる。帰還困難区域に毎日のように通う1人の男性を取材した。このあと伝える。
WBCで、1次ラウンド1位通過を決めた侍ジャパンがチェコと対戦。村上宗隆選手が今大会初ホームランを放った。1次リーグ最終戦、注目のスタメンは大谷翔平選手や鈴木誠也選手がベンチスタートなど、野手6人が変更。両チーム無得点で迎えた8回ウラ、1アウト1塁で途中出場の若月健矢選手がライト前ヒット。チェコの連携が乱れる間に佐藤輝明選手がホームインし、日本が先制。さらに周東佑京選手の3ランホームランで、日本がリードを4点に広げる。その後、満塁の場面で、村上宗隆選手がホームラン。日本はこの回9得点。1次ラウンドを全勝で終え、アメリカ・マイアミへ出発した。村上選手は「手応えは良かった」と話した。準々決勝で日本と対戦するのは、プールDで2位となるチーム。ドミニカ共和国とベネズエラが全勝で並び、明日の最終戦で直接対決。敗れた方と日本が準々決勝で対戦する。侍ジャパンは15日に準々決勝に臨む。2026ワールドベースボールクラシックはネットフリックスで国内独占ライブ配信されている。
現役最後の大会を終えたスピードスケート・髙木美帆選手が、成田空港に帰国した。オリンピックで日本女子最多10個のメダルを獲得した髙木選手は、「私の中でスケートは人生の一部にもなっているくらい大きなものだったので、自分の中では大きくあり続ける」と、スケートに対する思いを語った。
きょうで東日本大震災から15年を迎える。いまも廃炉作業が進む福島第一原発がある双葉町。原子力災害伝承館から生中継で伝える。除染作業や住民が一時帰宅する際などに着た防護服、庭や公園などで出た除去土壌用の袋などが展示されている。福島県では原発事故により、最大で県全体の12%に避難指示などが出された。段階的に避難指示の解除が進み再び住むことが叶うようになった場所がある一方、2.2%のエリアでは自由に立ち入ることができない。帰還困難区域に毎日のように通うひとりの男性を取材した。
あの日を境に故郷に帰れなくなった人がいる。町のいたるところに道路を塞ぐバリケード。その向こうにある家屋は、15年前のあの日から時が止まったままのようだ。震災直後は住民であっても立ち入りが厳しく制限された。今では徐々に放射線量も低下したことで、帰還困難区域は狭まってきているが、15年経った今も立ち入りが制限されている地域がある。福島県双葉郡浪江町は、今も町の大部分で原則立ち位置が制限されている。渡部典一(67)は浪江町で生まれ育った。浪江町では許可を得れば自ら開けることができるゲートもある。防護服の着用も義務化されていない。渡部は震災前、牛を育てる畜産農家だった。牛たちは原発事故の影響で商品価値を失ったが、手放すことはできなかったという。渡部の家がある浪江町小丸地区では、おととし1月から帰還希望者のために帰還できる環境を整え始めた。
集落から車で5分ほど離れると、木々や電柱が倒れ歩いていくのも大変な状態になっていた。渡部典一は「道路のインフラが整わなければ(帰還困難区域を)解除できない」と話した。水道や電気などのインフラ整備も課題となっている。震災前、小丸地区には約130人の住人がいた。人が住むことができなくなった今、家屋や車などがそのまま残されている。地域の集会所もそのうちのひとつ。2011年3月のカレンダーがそのままかけられていた。すぐに避難した形跡が残っていた。現在、避難指示が解除された地域に住んでいる渡部だが、生まれ育った場所に戻りたいと準備を進めている。家の周辺は去年、除染してもらったという。国は2029年までに、帰還を望む人から帰れるよう取り組みを行っている。
渡部氏の故郷への強い思いを共有したいと取材した。15年が経った今も故郷に帰れない方がいる、復興途中だということを忘れてはいけない。首都圏に住んでいる方に知ってもらうことは、大きな一歩になるだろう。渡部氏の父は、この15年の間に亡くなった。父と一緒に、また故郷で暮らしたかったという。父の思いも背負い「必ず帰りたい」と強く言っていた。
きょうのOha!4は福島県から被災地の今を伝えてきた。双葉町にいる直川貴博キャスターと中継をつなぐ。多くの人の運命を一変させた東日本大震災からきょうで15年。あの日と同じく今朝も穏やかに晴れており、寒い朝を迎えている。まもなく日の出を迎える。気仙沼市の港町にも、大津波が牙をむいた。東日本大震災では1万5901人が亡くなり、今も2519人の行方がわかっていない。避難生活などで震災に関連して亡くなった方は3810人に上っている。福島第一原発の事故で、福島県内には15年経ってもなお立ち入ることすらできない地域があり、2万3000人以上が避難生活を余儀なくされている。震災当時、全国から届けられたマスクやおむつなどの物資、千羽鶴、手紙などが展示されている。この地はまだまだ皆さんの支援が必要。きょうの午後2時46分、心の中だけでも一緒に被災地を思い、黙祷を捧げてほしい。あの日から15年、きょうは3月11日。
