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「かまやつひろし」 のテレビ露出情報

堺正章、79歳。1946年、戦後間もない東京都世田谷区に生まれる。父は昭和を代表する喜劇役者・堺駿二、日本の映画界を支えた名脇役。そんな父の撮影現場を訪れた堺は、監督から声をかけられ子役としてデビュー。5歳で芸能生活をスタートさせた。幼い頃から父の活躍を見て育ち芸能界へ強い憧れを持った堺は、14歳の頃アメリカンポップスに衝撃を受け歌手の道を志す。16歳でザ・スパイダースにボーカルとして加入、錚々たるメンバーが集ったグループだった。当時世界中でビートルズ旋風が巻き起こっていた、スパイダースはブリティッシュ・サウンドをいち早く取り入れオリジナル楽曲を制作。洋楽サウンドと日本語の歌詞を融合させた斬新な音楽と、華やかなステージで若者の心を掴んで行った。
その当時をよく知る堺の盟友に話しを聞いた。ザ・スパイダースで堺と共にボーカルとして活躍した井上順。日本に新たなバンドスタイルを作り出したスパイダース、その中で堺が担った役割とは。オリジナリティあふれる音楽と、軽快な堺のMCでスパイダースは次第に注目を集めていく。彼らの人気に火がついたのが1966年リリースの「夕陽が泣いている」、120万枚を超える大ヒットを記録した。スパイダースの人気が急上昇した1966年以降、グループサウンズは黄金期を迎える。さらに、スパイダース主演の映画も公開。主題歌「あの時君は若かった」もヒットした。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年9月11日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
SONGS堺正章
井上順のコメントを見て、堺は「スパイダースの人気の発火点は井上順」だと話した。当時、井上のルックスが良く彼を支持するファンが集まったことがスパイダースの人気に繋がったという。最初の4年は人気がなくて大変だった、何度も辞めようと思ったと話した。また、海外で武者修行している間に「夕陽が泣いている」が大ヒットしていたとして。空港に着いたらエンジン音がかき消されるく[…続きを読む]

2025年5月4日放送 0:10 - 1:16 NHK総合
The CoversThe Covers 放送100年フェス完全版
堺正章、リリー・フランキーは今ほどテレビが普及していなかった当時を振り返り、根本要は「諸先輩の音楽がなかったら、バンドを組んでいない」と語った。続いて、寺岡呼人が手掛けた「プンスカピン!」を披露する。

2025年4月4日放送 10:25 - 13:00 テレビ朝日
大下容子ワイド!スクランブル(インタビュー 堺正章)
1960年にオープンした老舗イタリアンレストラン「キャンティ」。数多くのスターが愛したこの店で待ち合わせたのはマチャアキの愛称で親しまれるタレント・堺正章さん。厳しい芸能の世界で60年以上の長きにわたりトップを走り続けてきた。歌手として1971年には「さらば恋人」が大ヒット。俳優としても「西遊記」「時間ですよ」など大ヒットドラマに出演し、その後司会業にも挑戦[…続きを読む]

2025年2月24日放送 21:00 - 21:54 日本テレビ
しゃべくり007紅白で大バズり!デビュー50周年 THE ALFEE
ゲストはTHE ALFEEの3人。現在、3人共70歳。スタジオには、その同級生たちが登場。高見沢は学生時代から成績優秀で顔もよく、運動も得意だった。桜井は勉強が苦手で、古典で4点をとったことも。生まれは荒川村(現秩父市)。幼い頃から歌好きで、実家は本人いわく「荒川村の三越」という店を経営。当時はドラム担当。「サングラスは願掛け」という過去の発言の真意を問われ[…続きを読む]

2025年2月11日放送 19:00 - 21:00 テレビ朝日
THE世代感THE世代感 ゴールデン2時間SP
「60~80年代 コカ・コーラのCM 10代・20代が驚いた事は?」と出題。正解は「60~70年代のCMはハモリが多い」。60~70年代はハモリが多く、80年代以降はソロが多い。1965年頃はみんなで歌える喫茶店が大流行。80年代以降カラオケが登場し1人で歌う文化が定着した。

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