実家が貧乏芸人のエピソードを紹介。1人目はWエンジンのえとう窓口。当時一家は米店の倉庫に使っていた場所に家賃2万円で住まわせてもらっていた。家族は引っ越し現在は空き家。居間4畳半、和室6畳に母、姉と暮らしていた。実家は新聞販売店を営み小学生までは普通の暮らしをしていたが、えとうが中1の時に父がくも膜下出血で入院。同時に1000万円の借金が発覚した。家賃が払えず米店の倉庫に移ってから極貧生活が始まった。拾ってきた大きめの容器をガムテープで補強し、お湯をキッチンからホースで引っ張ってきていた。冬は暖房器具がないため寝られず、30分手足を動かしてから寝ていた。食事はおかずがなく白飯とたくあんが続いた。米もないときは小麦と水を混ぜて焼いたものを食べていた。貧乏をさらけ出してからは学校や友達が助けてくれるようになった。父からの誕生日プレゼントは石2つだった。そのプレゼントを最後に父は47歳で亡くなった。母がパート、えとうと姉は新聞配達などで食いつないだが借金1000万円を返せる目処は立たなかった。同情した借金取りにクリスマスケーキをもらったこともあったという。その後えとうはお笑い芸人を目指して上京し、Wエンジンを結成。借金1000万円を20年かけて完済した。