ヨーグルトの市場規模は4000億円以上で、明治ブルガリアヨーグルトはプレーンヨーグルトのシェアNo.1。累計販売個数は約68億個。日本で始めてヨーグルトが発売されたのは1917年で、当時はお米4合分とほぼ同じ値段の高級品だった。1950年頃から各社がヨーグルトの製造を始め、1950年に明治ハネーヨーグルトを発売した。当時は甘くて固めのハードヨーグルトが主流だった。1970年、大阪万博で天皇陛下が本場のヨーグルトを食べ気に入られた。本場のヨーグルトはプレーンヨーグルトで、生乳だけが原料で甘くない。開発メンバーは本場のヨーグルトに感銘を受けたが、開発は困難を極めた。本場のブルガリアの乳酸菌が必要で、ブルガリアの国営企業から乳酸菌の作り方とアドバイスを聞いた。明治ブルガリアヨーグルトという名前にするためブルガリア大使館を訪れたが、お墨付きは貰えなかった。1971年に日本初の明治プレーンヨーグルトが発売されたが、甘いデザートのイメージだったためプレーンヨーグルトは受け入れられなかった。ブルガリアでは、グラタンや肉料理にも入れられる。日本で広めるために行ったのが、民族衣装での該当試食。策を打ったが売れ行きはイマイチで、ブルガリア大使に工場を見てもらい国名の使用許可を得られた。1973年に明治ブルガリアヨーグルトがバクタンした。期待ほど売上は伸びず、ヨーグルトは朝食に最適とアピールすることにした。CMによって認知度が高まり売上も上がった。1981年にヨーグルト専用容器に変更され、大ヒットとなった。明治ブルガリアヨーグルトLB81プレーン HOME MADE STORYを食べて、井戸田潤は酸味がほとんどないとコメントした。