上皇ご夫妻は1975年、沖縄を初めて訪問された。沿道には歓迎する人がいる一方、沖縄訪問に対する反対運動も続いていた。最初に向かわれたひめゆりの塔で、男が突如火炎瓶を投げつけた。お二人はご無事で、慰霊碑に祈りを捧げ、最後まで日程を全うされた。天皇に即位された後も、沖縄に心を寄せ続け、1996年の誕生日会見では、沖縄県民の幸せに配慮した解決の道が開かれていくことを願っているなどと述べられた。上皇さまは、沖縄の文化にも関心を持たれた。琉球地方で伝承される叙情的な歌謡「琉歌」を学ばれていた。終戦の前年、沖縄の子どもたちを乗せた疎開船「対馬丸」が長崎に向かう途中、アメリカの魚雷攻撃で沈没し、1484人が亡くなった。子どもたちの多くは上皇ご夫妻と同年代だった。以前から強い関心を持たれていた上皇ご夫妻。10回目のご訪問で、記念館の見学が実現した。2008年には、秋篠宮ご夫妻とともに佳子さまが対馬丸の企画展に足を運ばれている。1960年代から続く沖縄の豆記者との交流。豆記者とは、課外活動で各地を取材し、学校新聞などで発表する小中学生のことで、その交流は、皇太子だった両陛下に引き継がれた。愛子さまも2度、沖縄の豆記者との懇談に参加されている。秋篠宮ご一家が担当になると、悠仁さまもご参加。豆記者が沖縄と皇室の絆を深めてきた。
住所: 沖縄県糸満市