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「アウン・サン・スー・チー」 のテレビ露出情報

仏教徒が多いミャンマーだが、カヤー州パサウンでは寺院すら容赦なく破壊されていた。空爆を逃れた人の一部は山奥で身を寄せ合っている。取材に応じた男性は外出中、空爆で妻、母と死別。生き残った息子は右腕を失った。隣国のタイではミャンマー軍を離反した兵士たちがインターネット放送局を運営し、軍を離れるよう呼びかけている。軍は民主派勢力によって奪われた地域をテロ区域に指定し、空爆を行っているという。
アメリカなど欧米各国はクーデターを起こしたミャンマー軍幹部、関連企業を対象に経済制裁を実施し、空爆の阻止を図ってきた。それに反して、空爆は多く実施されている。港湾施設の公開情報、衛星画像を照らし合わせたところ、特定のタンカーがティラワ港に入港していた。登録情報から中国企業が所有していると推察されるという。取材班はタイに逃れた元兵士たちにインタビューするなか、ミャンマー国営の石油会社の元社員と出会った。経済制裁の対象になっているため、石油会社はジェット燃料の輸入を行えない。そこで、仲介業者が輸入しているという。タイ周辺国はジェット燃料、ロシア、中国は軍用機を供給していて、いずれもミャンマーに対する制裁を科していない。
国連の特別報告者によると、政府開発援助「ODA」の一部がミャンマー軍の利益につながっている可能性があるという。21年のクーデター後、日本政府は新規のODAを停止したが、インフラ整備などの既存案件は継続するとした。ODAは日本政府からミャンマー政府に対して低金利で資金が貸し付けられ、ミャンマー政府は企業と契約を結ぶ。受注した日本企業、下請け企業などに事業費が支払われる。国際人権団体、ヒューマン・ライツ・ウォッチでは橋の建設を受注した日本企業の送金記録とされる情報を入手していた。そこで、MECについて調べると、ミャンマー軍を中心に運営されていて、軍が資金を調達するためにつくられた会社だという。別のODA事業に携わった日本企業の関係者は「メインプレーヤーであったのはミャンマー軍には変わりなかった」と話す。
パサウンの人々は避難所を転々とするなか、17歳のチェリーさんは学校の先生になることを夢見ていて、「とにかく勉強したい」と語った。そうした中、ミン・アウン・フライン司令官は18歳以上の男女を対象に徴兵制を実施。チェリーさんは武器を取るほかないと思い至り、「私達の時代で軍事独裁を完全に終わらせたい」などと語った。民主派勢力側のキャンプで訓練を重ねている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年7月3日放送 19:00 - 21:00 日本テレビ
1億人の大質問!?笑ってコラえて!(初心者D限定 長距離バス 一期一会の旅)
国際結婚カップルに同乗してもいいか聞いたがNGだった。最終便になっても宿命の1人は現れなかった。しかし次の日、森脇ディレクターは寝坊した。始発バスが出る時刻になったころにホテルから出てきて、始発が出発した後にインタビューを再開した。ミャンマーから帰ってきたという男性に同乗をOKしてもらって宮崎まで行くこととなった。男性の名前は上原雅矢さん。これからご家族が駅[…続きを読む]

2024年6月22日放送 20:54 - 21:54 テレビ朝日
サタデーステーション(ニュース)
ミャンマーは2011年に軍政が終わり、2016年にはアウンサンスーチー氏率いる政党が政権を取った。当時、ハニー・ヌェー・ウーさんはモデルや俳優として活躍し、SNSの総フォロワー数は100万人を超えていた。だが、国軍が市民を弾圧し、ハニーさんは国軍に抵抗する民主化グループに加わった。物資調達など後方支援にあたっているが、いざという時には戦地に出る覚悟。ハニーさ[…続きを読む]

2024年6月20日放送 4:15 - 5:00 NHK総合
国際報道(ニュース)
ミャンマーの民主派指導者の、アウンサン・スー・チー氏が79歳の誕生日を迎えた。スー・チー氏の息子のキム・エアリス氏が母はまだ刑務所にいると述べ、「世界は傍観しないでほしい」とコメントした。エアリス氏は日本人に、政府に働きかけるように呼びかけた。

2024年6月19日放送 5:00 - 6:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(ニュース)
ミャンマーの民主派指導者のアウンサンスーチーが79歳の誕生日を迎えた。息子のキムエアリスは「世界は傍観しないでほしい」とコメント。体調不良と聞き、医薬品などを送った所、1月に拘束後初めて手書きの手額を無事確認。

2024年5月18日放送 17:30 - 18:50 TBS
報道特集(特集)
2月1日、東京・品川区でミャンマー大使館前で日本に住むミャンマーの人達が軍事政権に対する抗議の声を上げていた。今年も大使館前にはウィン・チョウさんら二人の姿があった。クーデター以降2人は、様々な形で日本からミャンマーの民主化を訴え続けてきた。2人はミャンマーの民主化に生涯を捧げてきた。1988年、学生時代のウィン・チョウさんは、民主化運動に参加し拘束された。[…続きを読む]

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