槇谷悠紀が次に転職したのは「アディダス ジャパン」。スポーツは文化なので、文化的なジャンルのマーケティングを学ぶために入ったという。「adidas」は1949年にアドルフ・ダスラーが設立。アディダス ジャパンではコミュニケーションプランナーをしていて、三つ葉マークの方のライフスタイルのブランドを担当していた。その後、リテールマーケティングという全国の直営店全体のマーケティングをしたという。次の転職は夫に勧められたといい、夫からアドバイスをもらい、キリンビールの中途採用試験を受けた。採用後、面接官から「君が一番会社のカルチャーに合わなさそうだから採用した」と言われたという。キリンビールではマーケティング部に配属された。去年、キリンホールディングスに異動となり、企業ブランドのマーケティングを担当している。年明けから副業を始め、中小企業の魅力を国内外に発信しているという。今後は専門性や多様性で組織を横断して会社の成長に貢献したいなどと話した。申真衣オススメの転職に役立つ本は「わが投資術」。