台南市から市議会議員27人がやってきた。台南市と水戸市は友好都市になったという。呉進池さんは、杉浦さんの人形を抱えていた。飛虎将軍と呼ばれている。呉進池さんは、杉浦さんの像を抱えていた。飛虎将軍と呼ばれている。水戸市に杉浦さんの生家跡がある。零戦パイロットだった。20歳のとき、台湾で戦死したという。戦後、2回目の里帰りだとのこと。台南市の一角に杉浦さんを祀る飛虎将軍廟がある。杉浦さんの像が安置されている。1895年、日清戦争の勝利で台湾は日本の植民地となった。終戦までの50年間、日本の統治下にあった。日本から来た警察は怖かったと台湾の方々は話す。台湾の人を見下して気に入らないときには殴ったという。1944年10月、台南市上空で米軍と日本軍が衝突。アメリカ軍の戦闘機に撃たれた日本の零戦が、集落を避けるように村の外れの畑まで飛んでいったという。そのパイロットが杉浦さんだった。自らの命を犠牲にして台湾の人々の命を守ったと感じた村人たちは、杉浦さんを飛虎将軍と呼び祀ったとのこと。日本人が神様として祀られている場所は複数ある。嘉義県には副瀬富安宮という廟では、森川清治郎さんという警察官が祀られている。村では人柄が親しまれているという。村人に増税を命じた台湾総督府と村人の間で板挟みになる自ら命を絶ったという。高雄市には紅毛港保安堂があり、日本の軍艦が祀られている。高田又男艦長と乗組員145人が祀られる。哨戒艇はアメリカの魚雷攻撃を受けて沈没。乗員145人は戦死。台湾には、非業の死を遂げた人々の魂を鎮め、神様として祀る文化がある。亡くなって祀る人がいないと、亡霊が出るという習慣があるという。民衆が恐れて拝むのが習慣になっている。異国で無念の死を遂げた勇敢な日本兵たちを祀るのは台湾の人々にとって自然なことだ。安慶小学校の先生は、杉浦さんから献身的な行動を学んでいるという。台湾出身のパイロットの当時17歳の陳亮谷さんは、特攻を志願。陳さんは戦争を生き延び、命の大切さを語り継いだという。飛虎将軍廟は日本と台湾の文化交流の場にもなっているという。日本抜刀道連枚の会長は、毎年、武道の奉納をしているとのこと。呉進池さんは日本との交流を経て日本の印象が変わってきたという。台南市とはドッジボールの交流があるという。平和を学ぶことができたという。日本と台湾の杉浦さんを通しての交流が友好の架け橋になるという。