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「インパール作戦」 のテレビ露出情報

日本軍の補給と兵站を蔑ろにしたインパール作戦で5万人の兵士が犠牲となり、太平洋の戦線でも戦況は悪化した。アメリカ軍は日本軍への進撃を開始し、昭和19年9月に空母部隊がマニラ湾の輸送船団を強撃した。当時16歳という最年少の看護婦だった木村美喜さんや川崎啓子さん、奥村モト子さんらは負傷兵の惨状を目の当たりにした。昭和20年1月にアメリカ軍がルソン島に上陸し、南方第12陸軍病院一帯は激しい爆撃に見舞われた。報告書では筆舌に尽くし難い死傷者数を出したといい、防空壕に避難していた川崎さんは病気で入院していた仲間の看護師を失った。皮膚片などは壁に飛散し、川崎さんは一緒に避難させるべきだったと後悔している。
日本軍はルソン島北部に撤退を開始し、各地の兵站病院も軍とともに移動するように命じられた。重症患者とともに看護婦達が逃げ延びた場所は使われなくなった金鉱山の坑道で、多くの兵士が死亡していく中で看護婦達は悲しみといった感情を押し殺して看護に当たった。一方でミャンマーでは日本軍は壊滅状態にあり、後方と位置づけられていた兵站病院のある地域が最前線と化した。防空壕で頼藤ツルさんは戦車や爆撃といった轟音を聞くなか、死んでも捕虜にはならないという覚悟だった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年7月24日放送 22:30 - 23:30 NHK総合
時をかけるテレビ女たちの太平洋戦争 従軍看護婦・激戦地の記録
多くの従軍看護婦が派遣されたのは現在のミャンマーで、日本軍は同地での資源獲得、連合軍の中国への補給路を遮断することを目的としていた。現地の人の協力も得て首都ラングーンを占領し、北部へと侵攻を開始。そして昭和17年に戦時救護班の第一陣として48人がラングーンに到着し、各地には兵站病院が置かれた。だが看護師たちはデング熱といった熱帯特有の風土病にかかり、帰国を余[…続きを読む]

2026年4月20日放送 1:43 - 2:43 TBS
ドキュメンタリー「解放区」老兵たち 台湾出身 元日本兵たちの証言
1944年12月に朝日新聞社から出版された「大東亜戦争と台湾青年」は8年前に台湾で復刻された。「大東亜戦争と台湾青年」は戦況が悪化し台湾でも徴兵戦が実施された直後に発売され、当時の司令官の言葉が記されている。台湾・台南で暮らす蘇獻成は元日本兵で激戦地を生き抜いた一人。ニューギニア戦で戦没した日本兵は13万人あまりにのぼり、その殆どは餓死で亡くなっている。王慶[…続きを読む]

2026年3月12日放送 5:00 - 6:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(ニュース)
太平洋戦争中、13万人を超える日本兵らが死亡したミャンマーで11日、日本から訪れた遺族が戦没者を追悼した。30年以上続けられてきた戦地での慰霊親善事業は、遺族の高齢化で今回が最後となる。

2026年1月15日放送 14:05 - 14:50 NHK総合
列島ニュース高松局 昼のニュース
戦争の記憶をどう引き継いでいくかが課題となるなか、子どもたちに平和の大切さを伝えようと高松・塩江町「塩江小学校」でお年寄りが戦時中の体験などを語る授業が行われ、6年生の児童6人が参加。講師は県遺族連合会から戦争の悲惨さを伝える語り部として派遣された黒川富彦さん(70)と藤澤久文さん(70)のほか戦争を体験した85~97歳の3人が務めた。子どもたちは太平洋戦争[…続きを読む]

2025年12月25日放送 10:25 - 13:55 TBS
ひるおびJNN NEWS
東京の板橋区立美術館では、「戦後80年 戦争と子どもたち」という展示が行われている。稲垣よし子さんは、戦地に行った兄が、「死にたくない」と泣いていた話をした。従軍看護婦の中村ミチさんは、3姉妹で兵隊に行く人がいなくて肩身が狭かったため、看護師として戦地に行ったことを話した。収容を経験したジューン・バークさんは「母親たちは素敵なドレスやコートで、誰も泣かず抗議[…続きを読む]

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