亀田誠治の1989~1990年代のキャリアスタート期を紹介。1989年デビューのCoCoの楽曲コンペを勝ち抜き、作曲家・アレンジャーとしてキャリアをスタート。初めてアレンジしたシングル「夏の友達」がオリコン3位になるなどすぐにヒット。その後90年代はアイドルを中心に作曲や編曲を手掛けた。そして、1998年に椎名林檎と出会い多くの作品を編曲。1stアルバム「無罪モラトリアム」は160万枚を超える大ヒット。2ndアルバム「勝訴ストリップ」は250万枚を記録。椎名林檎をプロデュースしたのはレコード会社から人柄で採用されたと明かした。初対面で意気投合し、この人とだったら新しいサウンドを作り出せると思った。出会った時には無罪モラトリアム、勝訴ストリップの楽曲のデモが出来上がっていた。プロデュースは自分のやりたい放題にやると椎名林檎も喜んでいたという。