- 出演者
- 古田新太 大倉忠義(SUPER EIGHT) 村上信五(SUPER EIGHT) 横山裕(SUPER EIGHT) 丸山隆平(SUPER EIGHT) 安田章大(SUPER EIGHT) 高橋茂雄(サバンナ) 亀田誠治 KREVA アイナ・ジ・エンド 新井和輝(King Gnu)
オープニング映像。
音楽プロデューサー亀田誠治特集。椎名林檎をはじめ200組以上のプロデュースや編曲を担当。東京事変のベーシストとしても活躍し、誰もが無料で参加できるフリーの音楽フェス「日比谷音楽祭」を開催。今夜は、亀田を敬愛するゲストを招きアーティストをから求められる理由を徹底解説。
アーティストゲストはKREVA、アイナ・ジ・エンド、King Gnu新井和輝。新井は高校生の頃、東京事変のコピーバンドをやっており、ベーシストとして影響を受けた。また、横山はサウナでよく会うと話した。
亀田誠治の1989~1990年代のキャリアスタート期を紹介。1989年デビューのCoCoの楽曲コンペを勝ち抜き、作曲家・アレンジャーとしてキャリアをスタート。初めてアレンジしたシングル「夏の友達」がオリコン3位になるなどすぐにヒット。その後90年代はアイドルを中心に作曲や編曲を手掛けた。そして、1998年に椎名林檎と出会い多くの作品を編曲。1stアルバム「無罪モラトリアム」は160万枚を超える大ヒット。2ndアルバム「勝訴ストリップ」は250万枚を記録。椎名林檎をプロデュースしたのはレコード会社から人柄で採用されたと明かした。初対面で意気投合し、この人とだったら新しいサウンドを作り出せると思った。出会った時には無罪モラトリアム、勝訴ストリップの楽曲のデモが出来上がっていた。プロデュースは自分のやりたい放題にやると椎名林檎も喜んでいたという。
新井和輝は亀田アレンジのスゴさが分かる一曲として「丸ノ内サディスティック」を選曲。コード進行が「丸サ進行」と称されるくらい有名で、サビに入った瞬間のアンサンブルの広がりやベースの存在感が逆に強調されている名アレンジとコメント。「丸サ進行」はJust The Two Of Usという曲のアレンジで日本で有名にしたのがこの曲。そこで新井は亀田へ「コード進行やサビまで入らないベースは誰のアイデアですか?」と質問。
新井は亀田へ「「丸ノ内サディスティック」のコード進行やサビまで入らないベースは誰のアイデアですか?」と質問。亀田はサビに向けてのカタルシスがあるとし、サビまで入らないベースは亀田のアイデア。丸サ進行は椎名林檎が作った。ベースソロは椎名林檎のアイデアで2、3テイクくらいで録ったという。
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亀田誠治の2000年代は多くのトップアーティストを手掛け、2001年には「さわって・変わって」でスピッツを初プロデュース。それ以降、多数のヒット曲を共同プロデュース。2002年には「大きな古時計」で平井堅を初プロデュース。そして2004年、東京事変のベーシストとしてデビュー。バンドと並行してプロデュースワークをしていき、さらなる多忙を極めた。
KREVAは亀田へ「スピッツのプロデュースは何がきっかけで行うようになったのですか?既にキャリアのあるスピッツのようなアーティストをプロデュースするのはハードルが高くないですか?」と質問。当時、チェキッ娘もプロデュースしていた亀田の振れ幅に魅力を感じ草野マサムネからオファーを受けたという。亀田はプレッシャーなどはなく、その先に大きく跳べるという気持ちだったと話した。The THREEで亀田とユニットを組んだKREVAは初顔合わせの際に手紙を頂き、場の空気もやりやすいように作ってくれた。アイナ・ジ・エンドは作った時の感性をめちゃくちゃ理解してくれると話した。
亀田誠治の2010年代~現在までを紹介。2020年には映画「糸」の劇伴と担当し、日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞。2021年にはアイナ・ジ・エンドの1stアルバム「THE END」をプロデュース。このアルバムの収録曲「金木犀」について、新井和輝はベースソロをどう弾いているか分からない。音楽に溶け込んでいるバランス感が最高とコメント。
新井から亀田へ「実際にベースソロをどうやって弾いているか間近で見たいです」と質問。そして、亀田が「金木犀」のベースソロを実演。途中でピックに持ち替え、三味線の様な超高速ピッキングをしている。
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- 金木犀
亀田は2019年に大型フェス「日比谷音楽祭」を初開催。このフェスはトップアーティストが集結するのに入場無料で楽しめる。これは企業の協賛金+行政の助成金+クラウドファンディングで無料が実現。亀田は音楽の聴かれ方が変わり、CDに特典が付くなど肝心の音楽はどこへいったのか。皆の生活の中に音楽を溶け込ませたいと感じていた。そんな時、NYセントラルパークで毎年開催されるフリーフェスの存在を知った。さらに日比谷野音と日比谷公園を使った音楽フェスプロデュースのオファーがあり、「日比谷音楽祭」を提案。しかし依頼は有料の興行としての音楽フェスで周囲からは「無理だ」との声があがった。そこで亀田は1年かけ企業協賛のお願いや行政の助成金申請、クラウドファンディングで実現。
EIGHT-JAMの次回予告。
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