横井さんは生き延びるため、あらゆる研究を始めた。水筒でフライパンとおろし金を作った。ヤシからココナツミルクを作り、カタツムリ・カエル・トカゲを煮込んで食べた。1945年、広島・長崎に原子爆弾が投下され日本は戦争に負けた。もちろん横井さんらはそれを知るはずもなかった。終戦の呼びかけがあり、多くの日本兵が投降した。終戦の翌年には約1300人が日本に帰還した。横井さんは出て行けば殺されると、決して出て行こうとはしなかった。横井さんらは穴を掘り地下で生き延びることにした。横井さんはココナツミルクのアクを利用して油を作り、油にヤシの繊維を編んで浸し、燃やした。また、油を得たことで天ぷらなどの料理も可能になったという。3人は空気の通りを良くする研究をし、また穴を掘った。その頃の日本では冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビが3種の神器と呼ばれ、1958年には東京タワーが完成。
横井さんと年下の2人は度々言い争うようになり、遂に横井さんは穴を出て一人で暮らすことにした。しかし決別した仲間も手伝い、3ヵ月で新しい穴が完成。横井さんの生活はすごみを増す。ハタ織り機を作りヤシの繊維で服を作った。
横井さんと年下の2人は度々言い争うようになり、遂に横井さんは穴を出て一人で暮らすことにした。しかし決別した仲間も手伝い、3ヵ月で新しい穴が完成。横井さんの生活はすごみを増す。ハタ織り機を作りヤシの繊維で服を作った。
