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「金日成」 のテレビ露出情報

1900年頃、ベトナムはフランスの植民地であらゆる資源が搾取されて安い賃金で働かされていた。1919年に第一世界大戦の講和を話し合う会議で、ホー・チ・ミンは祖国の窮状を訴える文章を出したという。ホー・チ・ミンは祖国ベトナムの独立のために地下活動を続けた。1940年になると日本が進出し、ベトナムは日本とフランス双方から支配を受けることになる。そしてホー・チ・ミンは独立への準備を進めて、一斉蜂起の機会を狙った。日本の敗戦から2週間あまりでホー・チ・ミンはベトナム全土を掌握し独立を宣言した。
ただベトナムの独立はわずかしか続かなかった。ベトナムの独立を認めないフランスと全面戦争をすることになり、総司令官のボー・グエン・ザップが活躍した。56日の激しい攻防の結果、ベトナムはフランスに勝利した。フランスとの休戦協定によってフランスは南北に分断され、北はホー・チ・ミン率いる社会主義政権、南はアメリカが支援する政権が誕生した。アメリカは南ベトナムに兵力を送り、ホー・チ・ミンはゲリラ戦をアメリカに仕掛けた。
1964年、アメリカは南北ベトナムの争いに本格的に介入することになった。アメリカは北ベトナムを爆撃して本格的な戦争になった。そこでは青年突撃隊という女性が多い部隊が危険な任務を担っていたという。若者たちは戦地でも耐えられる体力と団結力を磨き、南の戦場へ向かった。ベトナムはゲリラ戦でアメリカを苦しめ続けた。
ベトナム戦争の行方を大きく変えた攻勢が1968年から行われた。ベトナム軍の同時多発攻撃によって南ベトナムのサイゴンが戦場になった。攻勢は失敗したが、このことによって戦場の様子がメディアに報じられてアメリカ国内の反戦運動に火をつけることになった。結果、アメリカは北ベトナムへの攻撃を中止することになった。その翌年にホー・チ・ミンは死去した。1975年には北ベトナム軍はサイゴンを陥落させて戦争は終結した。
1976年、南ベトナムの首都のサイゴンではホーチミンへと名前を変えた。戦争終結後、青年突撃隊が再び結成されて、焦土となった国土を復活させるために全国に散っていった。それから50年、ベトナムは目覚ましい経済成長を遂げている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年7月8日放送 16:00 - 16:05 NHK総合
ニュース・気象情報(ニュース・気象情報)
北朝鮮のメディアはキム・ジョンウン総書記の祖父、キム・イルソン主席の死去から31年となる8日、キム・ジョンウン総書記が祖父の遺体が安置されている首都ピョンヤンの宮殿を訪れたと伝えた。

2025年7月2日放送 10:25 - 13:00 テレビ朝日
大下容子ワイド!スクランブルNEWSドリル
北朝鮮・元山の葛麻海岸観光地区では金正恩総書記が竣工式に出席し、ジュエ氏やリ・ソルジュ氏も駆けつける中、ウォータースライダーを視察している。ロシアからも駐北朝鮮大使が出席している。北朝鮮の観光地開発はロシアが支えているといわれ、ロシア人も多く足を駆けつけるという。去年北朝鮮を旅行したというロシア人一行の投稿を見てみると、高麗航空で平壌市に向かうと人通り以上に[…続きを読む]

2025年6月23日放送 22:30 - 23:15 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀 バタフライエフェクト)
20世紀始めの頃に朝鮮半島を撮影した映像が流れた。当時の朝鮮半島は中国からの影響から離れて大韓帝国という独立国家を打ち立てていた。ただ1910年に日本に併合されて、武断政治によって言論や集会の自由を奪われた。1919年に三・一独立運動が起きて、日本は武力でこれを鎮圧した。中国では独立の継続を目指して、大韓民国の臨時政府が樹立された。
1937年に日中戦争が[…続きを読む]

2025年6月18日放送 23:30 - 23:40 NHK総合
時論公論(時論公論+)
北朝鮮は今年、朝鮮労働党創立から80年となる。社会主義国家でありながら独自路線で繰り返されてきた権力の世襲に焦点をあてる。キム・イルソンから始まる家系図の中、いま注目されているのがキム・ジョンウン総書記の娘ジュエ氏で4代目の後継者候補との見方が出ている。北朝鮮は日本による植民地支配を経て第二次世界大戦後、ソビエトの後押しを受けて1948年に建国。これに先立っ[…続きを読む]

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