郷敦の母・本田玉美はかつては京都で舞妓をしていた。曾祖母の本田タマは福井県小浜市の置屋で修行を積み、昭和の始めに京都へ行き、芸鼓として厳しい稽古に耐え自分のお茶屋を開く。昭和6年、タマと実業家の徳三郎の間に郷敦の祖父・公一郎が誕生。昭和41年に公一郎は結婚し郷敦の母・玉美が生まれた。祖母に可愛がられていた玉美は高校1年の時、「舞妓になれ」と勧められる。悩んだ末、玉美はタマの期待に答えたいと舞妓の道へ進むことを決意。厳しい修行を耐え抜きデビューした玉美の元にはすぐに多くの指名が入った。平成8年、玉美は舞妓時代に知り合っていた禎穂と結婚。当時、禎穂が拠点としていたアメリカへと移住し平成12年次男の郷敦が誕生した。しかし、禎穂はアメリカの仕事が減り日本で企画した映画や事業も失敗。玉美は子どもを連れ京都に帰郷する。朝から晩までパートに明け暮れ、必死に働いた。郷敦は中学の時サックスに目覚め高校でプロを目指していたが、東京藝術大学に不合格となり夢を諦めた。禎穂から半ば強引に俳優の道を勧められ、平成31年、映画で俳優デビューを果たす。