堺市にあるクボタの工場では1000種類以上のエンジンを製造している。メーカーの設備や機会に合わせてつくっている。部品が注文に合わせて加工されて組み立ての工程へ。ここでは1台1台、人の手による組み立てと機会によるネジ締め作業など人と機械が共同で作業を行っている。4台のロボットを使ってエンジンの形状に合わせて塗装している。コンベアには違うエンジンが隣同士に並んでいる。IDタグに入った情報をレシーバーが読んで作業手順が分かるようになっている。作業員はモニターを見ながら必要な部品を1台1台確認して取り付ける。種類が1000種類以上で自動化では対応できないので人を中心に仕事をする。
クボタは1890年、粗業者が鋳物業を立ち上げたところから始まった。1917年、鉄管2000tを初めて輸出。この年、鋳物部門を恩加島工場に集約した。1920年、自動車会社を立ち上げた。エンジンの小型化や耐久性を可能にする鋳造技術はこの時に磨かれた。外国製の車との競争に打ち勝てず、自動車製造から撤退した。クボタが農耕用の石油発動機を作り始めたのは1922年。1927年ごろからはディーゼルエンジンの開発に着手。ベルトコンベヤーを採用した近代的な発動機専門工場を堺市に建設して量産体制を整えた。1950年代に入るとトラクタ用のエンジンを開発。農村人口の都市部への流出で人手不足を補う機械化のニーズが高まって、トラクタやコンバインを中心に売上を伸ばした。1972年、アメリカに販売子会社を設立してトラクタ市場に本格参入した。
クボタは1890年、粗業者が鋳物業を立ち上げたところから始まった。1917年、鉄管2000tを初めて輸出。この年、鋳物部門を恩加島工場に集約した。1920年、自動車会社を立ち上げた。エンジンの小型化や耐久性を可能にする鋳造技術はこの時に磨かれた。外国製の車との競争に打ち勝てず、自動車製造から撤退した。クボタが農耕用の石油発動機を作り始めたのは1922年。1927年ごろからはディーゼルエンジンの開発に着手。ベルトコンベヤーを採用した近代的な発動機専門工場を堺市に建設して量産体制を整えた。1950年代に入るとトラクタ用のエンジンを開発。農村人口の都市部への流出で人手不足を補う機械化のニーズが高まって、トラクタやコンバインを中心に売上を伸ばした。1972年、アメリカに販売子会社を設立してトラクタ市場に本格参入した。