島民がたった1人しかいないという島について聞き込みを行ったところ、厚岸小島の情報を入手。船は出ていないとのことで造船所で交渉し翌日、小型船に特別に乗せてもらい厚岸小島へ渡った。かつては約80人が暮らしていたという。現在島で暮らしているのは塚田さん夫婦と犬1匹。スタッフは役場に確認し学校に簡易テントを設置して宿泊できることになった。寝床が決まったところで塚田さんの元へ。海底ケーブルを通して塚田さんの家にだけ電気が通っているという。水も海底ケーブルを通して供給されているがケーブルの不調で電気・水が止まることも珍しくない。そんな厚岸小島はテニスコート約190面の広さ。食材などは10日に1回ほど船で街へ買い出しに出ている。
塚田の仕事に密着。午前3時から始めたのは運搬車の準備。続いて石を投げ始めた。船底に穴が開かないよう毎朝流れてくる石をどかしているという。本土から家族も助っ人で招集し始めたのは昆布漁。塚田さんは厚岸小島最後の昆布漁師だった。厚岸小島は北海道屈指の昆布の名産地。7mの竿で昆布を巻き取りわずか30分で約500kgの昆布が取れた。この昆布を船から下ろすと休むまもなく再び漁へ。合計3往復で2t超えの昆布を水揚げしこの日の漁は終了。
昆布漁で最も時間がかかるのは天日干し。天気次第で1日かけても乾かないこともあり水分が残ったまま保管すると品質が落ちてしまう。ノンストップで動き続け6人がかりで昆布をひたすら並べ続ける。合計4時間でこの日とった昆布を並べ終えた。続いて1枚ずつ昆布のねじれを直しくっついた小石を取り除いていく。立つ・しゃがむの繰り返しで膝に負担がかかり7年前に両ひざを壊し人工関節を入れる大手術を行ったという。厚岸小島で昆布漁が盛んになったのは明治初期。ニシン漁でも栄え最盛期には80人ほどが定住していた。しかし1970年代初頭からニシンの不漁が原因で人口が激減。それでも塚田さんの父は昆布漁にかけ島に残った。そこ後高度経済成長とともに昆布の需要が高まり10人の子どもを育て上げた。昆布の漁場はほぼ厚岸小島の周辺のため漁の効率が良く漁獲高は本土の漁師と比べ約2倍とのこと。塚田さんは15歳で昆布漁師になり53年間昆布漁一筋の人生を歩んできたという。乾燥した昆布は出荷する長さに切り分けて助っ人をお見送り。しかし塚田さんの仕事はまだ終わらない。漁1日分の昆布の仕分けに5日前後かかるという。この日は午後9時まで働き1日の売り上げは約108万円、労働時間は18時間23分だった。
塚田の仕事に密着。午前3時から始めたのは運搬車の準備。続いて石を投げ始めた。船底に穴が開かないよう毎朝流れてくる石をどかしているという。本土から家族も助っ人で招集し始めたのは昆布漁。塚田さんは厚岸小島最後の昆布漁師だった。厚岸小島は北海道屈指の昆布の名産地。7mの竿で昆布を巻き取りわずか30分で約500kgの昆布が取れた。この昆布を船から下ろすと休むまもなく再び漁へ。合計3往復で2t超えの昆布を水揚げしこの日の漁は終了。
昆布漁で最も時間がかかるのは天日干し。天気次第で1日かけても乾かないこともあり水分が残ったまま保管すると品質が落ちてしまう。ノンストップで動き続け6人がかりで昆布をひたすら並べ続ける。合計4時間でこの日とった昆布を並べ終えた。続いて1枚ずつ昆布のねじれを直しくっついた小石を取り除いていく。立つ・しゃがむの繰り返しで膝に負担がかかり7年前に両ひざを壊し人工関節を入れる大手術を行ったという。厚岸小島で昆布漁が盛んになったのは明治初期。ニシン漁でも栄え最盛期には80人ほどが定住していた。しかし1970年代初頭からニシンの不漁が原因で人口が激減。それでも塚田さんの父は昆布漁にかけ島に残った。そこ後高度経済成長とともに昆布の需要が高まり10人の子どもを育て上げた。昆布の漁場はほぼ厚岸小島の周辺のため漁の効率が良く漁獲高は本土の漁師と比べ約2倍とのこと。塚田さんは15歳で昆布漁師になり53年間昆布漁一筋の人生を歩んできたという。乾燥した昆布は出荷する長さに切り分けて助っ人をお見送り。しかし塚田さんの仕事はまだ終わらない。漁1日分の昆布の仕分けに5日前後かかるという。この日は午後9時まで働き1日の売り上げは約108万円、労働時間は18時間23分だった。
