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「サイパン島」 のテレビ露出情報

1936年からのスペイン内戦では軍が反乱を起こして戦争になり、世界各国からジャーナリストが集まり、共和国政府を支持して戦場の事実を報道した。アーネスト・ヘミングウェイも戦場を駆け回ったという。ロバート・キャパも参加しており、スペイン内戦の取材中にヘミングウェイと初めて会ったという。そしてその後は数々の戦場で行動を共にしたという。
日本では日中戦争の真実を伝えようとするジャーナリストと、それを封じ込めようとする軍部が対峙していた。新聞社を中心に多くの記者やカメラマンが戦争特派員として派遣された。1937年に日本は南京を陥落させて、作家の石川達三は日本兵から聞き取りを行ったという。そこで中国の民間人に危害を加える日本兵の姿を書いたという。このことで石川達三は有罪判決を受けたという。ただ世界はこうしたことを取り上げて、世界の国際世論で日本への批判が高まっていった。
ロバート・キャパは次に第二次世界大戦のヨーロッパ戦線へ向かった。ロバート・キャパは傍観者ではなく当事者でありたいという思いで、ノルマンディー上陸作戦に同行しシャッターを切り続けた。ロバート・キャパは戦後に「私は失業した戦争写真家になれて非常に嬉しかった」と語っている。
この頃、日本は太平洋戦争の真っ只中で戦況は悪化していたが大本営はそのことを隠していた。そして敗走が続いて日本の特派員は取材を進める余力がなくなっていった。一方で戦争画が流行し、日本兵の死体を描くことなく玉砕を描けという矛盾した命令が出されていたという。1945年8月にアメリカは広島と長崎に原子爆弾を投下した。アメリカ軍の従軍カメラマンのジョー・オダネルはそこで日本の被害状況を撮影する任務を遂行した。そこで正義の名のもとに何をしたのかを知った。ジョー・オダネルは任務後に精神を苛まれたという。
戦後、アメリカ情報局の所属になったジョー・オダネルはホワイトハウス付きのカメラマンとして4代の大統領に仕えた。43年後にジョー・オダネルは原爆の写真の封印を解いて、アメリカ各地で写真展を行った。日本でも写真を公開しオダネルは自らの体験を語る活動を行っていった。そして2007年にジョー・オダネルは死去した。その日は長崎に原爆が落とされた日だったという。
今も世界の各地でジャーナリスト命を落としている。2024年7月には記者がイスラエル軍のドローン攻撃を受けて死亡している。イスラエル軍はSNSで「ジャーナリストではなくテロリストだ」と主張しているという。ジョー・オダネルが遺した写真は80年前の記憶を語り続けていると最後に伝えた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年9月17日放送 16:48 - 19:00 テレビ朝日
スーパーJチャンネル(ニュース)
台風25号がシルバーウィークを直撃する予想。東京都心は22日連続の雨。きのう夜発生した大型の台風25号はあすからあさってにかけ小笠原近海を通過する見込みで、日曜から月曜ごろには東海や関東に接近する恐れがある。

2026年9月3日放送 20:58 - 21:54 テレビ東京
ナゼそこ?(ナゼそこ?)
スタジオゲストの高畑淳子が劇団の先輩・西田敏行の豪快エピソードを語った。「もしもピアノが弾けたなら」が大ヒットしたので、劇団員全員をサイパンへ連れて行ってくれた。家族も半額で同伴でき、総勢500人ぐらいだったという。さらに2回目はオーストラリア、3回目は中国で、5回くらいあったという。

2026年8月31日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀 バタフライエフェクト)
1905年の日露戦争の勝利を祝う凱旋パレードの様子を伝えた。この戦争で東郷平八郎と乃木希典が活躍した。乃木希典の陸軍では貴族も平民も同様に扱われており、東郷平八郎の海軍では少数精鋭のエリート主義が敷かれて品格と教養が求められた。陸軍はソ連を、海軍はアメリカを仮想敵国として軍拡を進めた。しかし1922年にワシントン海軍軍縮条約が締結されて、海軍も陸軍も両方とも[…続きを読む]

2026年8月10日放送 22:00 - 23:00 NHK総合
映像の世紀(映像の世紀)
1942年7月。ドイツは膠着すソ連との対決を打開するためにスターリングラードへ狙いを定めた。そこでドイツ軍が迫る中で撮影されたスターリングラード市内の映像が流れた。町には60万人余りが住んでいたが人間の盾にするために批判を許さなかったという。激戦を行っているソ連にアメリカが武器や物資を提供し、厳しい冬が訪れるとソ連軍が大攻勢を仕掛けてドイツ軍を孤立させた。[…続きを読む]

2026年7月24日放送 22:30 - 23:30 NHK総合
時をかけるテレビ女たちの太平洋戦争 従軍看護婦・激戦地の記録
日本軍の補給と兵站を蔑ろにしたインパール作戦で5万人の兵士が犠牲となり、太平洋の戦線でも戦況は悪化した。アメリカ軍は日本軍への進撃を開始し、昭和19年9月に空母部隊がマニラ湾の輸送船団を強撃した。当時16歳という最年少の看護婦だった木村美喜さんや川崎啓子さん、奥村モト子さんらは負傷兵の惨状を目の当たりにした。昭和20年1月にアメリカ軍がルソン島に上陸し、南方[…続きを読む]

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