沖縄の光に包まえたジンベイザメが、ゆうゆうと行く姿を見上げるアクアルーム。本当に鉄骨無しでアーチ型のアクリルを制作できるのか。靖洋は苦悩していた。アクリルは曲げると厚みが数ミリ薄くなる。平らなアクリルと接合した時、その僅かな厚みの違いで段差が生じると、段差に水圧が集中し、アクリルが割れてしまう危険をはらんでいた。それを防ぐには磨いて段差をなくし、平らにしていくしかなかった。靖洋は世界屈指のアクリル加工技術を持つ職人たちを信じるしかなかった。総勢15人の職人の手作業で磨きをかけ、ミリ単位の凹凸を平らにしていった。一方、安谷は家族とともに水族館の近くに引っ越して仕事に没頭した。安谷も国場から水族館の全体の細かな設計や現場への指示を任されていた。安谷は木漏れ日と風が心地よい沖縄らしい建築を設計図に落とし込もうとしていた。建設時に出土した琉球石灰岩に着想を得て、壁面や外構に沖縄の土の記憶を刻んだ。国場が思い描いた空間をもっと心地よいものにしようと安谷は考え続けた。急な変更に現場から不満の声があがっても一歩もひかなかった。ある日、安谷が変更点を伝えに言った時、職人が面倒な素振り一つ見せず、これは良い設計だと喜んでくれた。そして工事は最大の山場を迎えた。
巨大パネルを7枚接合し、重量135トンの1枚パネルにする。靖洋が手に汗を握った。緊迫していく現場に靖洋は言った。よし行くぞ。それに続いて父は、いつも通りやれば大丈夫やと言った。大号令の元、総勢15人の職人でアクリルを立てて並べた。ついに巨大水槽が姿を表した。7500トンの海水が投入される。皆が固唾をのんで見守った。水槽が揺れる音がし、皆建物から逃げ出し始めた。しかし敷山たちは微動だにしなかった。これは水圧で水槽が固定されていく音だと確信していた。水は一滴ももれなかった。職人たちは喜びを分かち合った。ついにジンベイザメが水槽に放たれた。2002年11月1日、開館。子どもから大人までが巨大水槽に顔を寄せた。そして何度も夢に見た瞬間が訪れた。ジンベイザメが立って餌を食べる姿に皆夢中になって大歓声をあげた。20年前にジンベイザメの展示を夢に掲げた内田と戸田の念願がかなった。内田詮三は、今までにないことをやって、面白いことをやって目の色を変えてやれば何となくなることが結構あるもんですよと語っていた。水族館には沖縄言葉で美しい海を表す美ら海という名がついた。開館の翌年、水族館として日本一の入場者数を記録した。
巨大パネルを7枚接合し、重量135トンの1枚パネルにする。靖洋が手に汗を握った。緊迫していく現場に靖洋は言った。よし行くぞ。それに続いて父は、いつも通りやれば大丈夫やと言った。大号令の元、総勢15人の職人でアクリルを立てて並べた。ついに巨大水槽が姿を表した。7500トンの海水が投入される。皆が固唾をのんで見守った。水槽が揺れる音がし、皆建物から逃げ出し始めた。しかし敷山たちは微動だにしなかった。これは水圧で水槽が固定されていく音だと確信していた。水は一滴ももれなかった。職人たちは喜びを分かち合った。ついにジンベイザメが水槽に放たれた。2002年11月1日、開館。子どもから大人までが巨大水槽に顔を寄せた。そして何度も夢に見た瞬間が訪れた。ジンベイザメが立って餌を食べる姿に皆夢中になって大歓声をあげた。20年前にジンベイザメの展示を夢に掲げた内田と戸田の念願がかなった。内田詮三は、今までにないことをやって、面白いことをやって目の色を変えてやれば何となくなることが結構あるもんですよと語っていた。水族館には沖縄言葉で美しい海を表す美ら海という名がついた。開館の翌年、水族館として日本一の入場者数を記録した。
