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「ソニー」 のテレビ露出情報

ビクターのプロジェクトチームが最終試作機を完成させたのは昭和50年8月。ソニーのベータの販売が始まってから3か月がたっていた。試作機は連日の徹夜の末、完成。後にVHSと名付けられたビデオはベータより5キロ軽かった。小型化に成功したその秘密は、実用化は困難といわれていたパラレルローディング方式の成功。開発したのは梅田。長時間になれば画質が乱れるビデオの根本的な問題を解決したのは僅か2センチの部品、大田の発明だった。高野は最終試作機の仕上がりに満足していた。しかし発表には慎重な態度を期した。高野の胸には天才技術者、高柳健次郎の無念の挫折があった。昭和33年、高柳は業務用VTRの開発を手掛け、世界に先駆けてスローモーション再生を実現。しかし先行する米国の力に太刀打ちできなかった。高野は極秘に開発したVHSの成否を一人の人物にかけようと思った。ビクターの親会社である松下電器をつくり上げた松下幸之助。松下電器はベータに傾いているといわれていた。昭和50年9月3日、ビクターの横浜工場に黒塗りの乗用車が乗りつけた。高野は4年の歳月をかけて開発したVHSの真価がこの1日で決まることに緊張していた。プロジェクトルームでは開発メンバーが念入りに準備をして待った。一同が見守る中、VHSの説明が始まった。松下幸之助はこう言った。「ベータマックスは100点満点の製品だ。しかしこのVHSは150点だ」。高野は一つの決意をしていた。それは4年の歳月をかけた試作機を他社に無条件で貸し出すというものだった。高野は日本最大の家電メーカー、日立に接触。日立は家庭用VTRの自社開発を諦めベータの採用に動いていた。日立のVTR部長、宮本延治はVHSを見た時の衝撃を日記につづっている。さらに企業秘密である試作機を無条件で貸すという高野の申し出に日立は驚いた。高野は大手メーカーを次々と訪問。VHSを普及させるため企業を超えたプロジェクトの結成を呼びかけた。昭和51年9月9日、ビクターはついにVHS第1号機を発表。VHSには各社の技術が総動員され新しい機能が次々と追加されていった。テープを前から装填するフロントローディングの技術はシャープが、映像を早送りできる機能は三菱電機が提供。さらにVTRの内部には数多くのメーカーの技術が結集された。その総合力がVHSの完成度を飛躍的に高めていった。海外でも技術を公開し共に規格を育てようとする高野の姿勢は変わることはなかった。VHSは米国、ヨーロッパの市場も押さえ発売から7年後、ついにベータを大逆転し世界標準規格へと上り詰めた。かつて窓際と陰口をたたかれたVTR事業部。部長、高野鎭雄は一人のリストラも行わず270人の社員全員を守り抜いた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年6月29日放送 20:54 - 21:00 日本テレビ
シャカレキ!〜社会歴史研究部〜(シャカレキ!〜社会歴史研究部〜)
1979年07月01日、ソニーがカセット式のポータブルオーディオプレーヤー、ウォークマンの1号機を発売。2人でも聴けるようにヘッドホン端子が2つ付いていた。海外でも人気を博したカセット式のウォークマンシリーズは出荷完了となる2010年までに世界でおよそ2億2000万台販売された。

2024年6月4日放送 0:15 - 0:45 テレビ朝日
ハマスカ放送部音楽専門誌的トレンドニュース 2024 初夏
続いて、サウンド&レコーディング・マガジンの辻太一編集長がプレゼン。トレンドニュースは「自宅でも臨場感と没入感!イマーシブオーディオ」。イマーシブオーディオとは上下左右、前方後方から音が聴こえ音に包みこまれている体験ができる。サブスク配信やYouTubeでもイマーシブオーディオ対応の楽曲が増加中。今回はソニー「SRS-RA3000」を体験。
続いてのオスス[…続きを読む]

2024年6月1日放送 19:30 - 20:15 NHK総合
新プロジェクトX〜挑戦者たち〜窓際族が世界規格を作った VHSに・執念の逆転劇
神奈川・神奈川区の一画にサラリーマンが仕事帰りの一杯を楽しむ居酒屋「きしや」がある。昭和45年、きしやから100mほど離れた日本ビクターの工場から毎日来ていたのが47歳の高野鎮雄だった。高野は会社のお荷物と叩かれていたVTR事業部の部長に就任したばかりだった。VTR事業部はリストラ寸前の部署だった。当時、日本ビクターは経営危機に陥り80億円あった営業利益は3[…続きを読む]

2024年5月23日放送 20:54 - 21:54 テレビ東京
ナゼそこ?(番組宣伝)
WBSの番組宣伝。「ソニー エンタメで稼ぐ」

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