1953年、ニューヨーク国連本部での米国・アイゼンハワー大統領(当時)の演説から始まった。米ソ冷戦の只中に呼びかけられた原子力の平和利用。真の狙いはソ連を牽制し核開発で優位に立つことだったとアメリカン大学歴史学・ピーターカズニック教授は分析した。1954年3月、太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行った米国。第五福竜丸の乗組員23人が被ばくした(のちに1人が死亡)。日米関係を揺るがす事件。ほどなく、ビキニ近海のマグロから放射能が検出された。
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