「ハローキティ」の生みの親であるサンリオの創業者・辻信太郎名誉会長を紹介。辻さんは終戦の日を迎える毎年8月、サンリオの月刊紙「いちご新聞」にメッセージを寄せている。辻さんは山梨県甲府市の料亭「三省楼」の跡取りとして生まれ、大学生だった終戦1か月前に米軍の爆撃機による空襲を受けて火の手から逃げる中、普通にただ懸命に生きていた人たちが戦争の犠牲になっていく姿を見たという。終戦から15年、1960年にサンリオを創業。戦争を体験した辻さんの原点は、「人と人が仲よくなる仕事をしよう」との思いだという。取り組みの一つが誕生日に贈るグリーディングカードで、コミュニケーションが生まれ関係が築ける。辻さんの同級生である大森さんは太平洋戦争で特攻隊に配属され、明日にも出撃というタイミングで終戦を迎えた。当時は兵隊に行くことが名誉だと思っており、同級生は皆死んでしまったと辻さんは話した。辻さんが手掛けるサンリオピューロランドの「ミラクルギフトパレード」では、闇の女王に立ち向かうハローキティは暴力を振るわない。去年のいちご新聞8月号に掲載されたいちごの王さま(辻さん)の「一番良いのは最初から戦わない、争わない」などといったメッセージを紹介。サンリオは今では約130の国や地域に広がっている。しかし今でも戦争は起こっている。辻さんは「人を殺すことがいいはずがないのに戦争だから仕方ないと言う。絶対に武力で解決しようとしてはならない。」などと話した。