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「ベトナム戦争」 のテレビ露出情報

1900年頃の中国北京の映像にはアヘンを吸う人々の様子が記録されている。中国は昔からアヘンを吸う文化はあったが、大きな社会問題になるまでに広まったのは、イギリスが中国へアヘンを密輸するようになったからだという。中国で広まったアヘンは海を越えて世界各地に広まり、欧米人にもアヘン中毒者が増えていった。アヘンはアメリカで闇社会のビジネスとして栄えるようになり、アヘン密売を組織化したアーノルド・ロススタインなどが出てくるようになった。そうした中でアメリカでは連邦麻薬局が組織され初代局長にはハリー・アンスリンガーが就任。ハリー・アンスリンガーは黒人と白人で麻薬の利用者の待遇を変えており、白人の利用に関しては見て見ぬふりをしていたという。
第二次世界大戦が起こると麻薬は戦争でも重要な役割を果たすことになる。各国が麻薬を兵士の戦闘力強化に利用するようになった。日本でもヒロポンという覚醒剤が兵士や軍需工場の職員に使われたという。戦争後も薬物の需要は絶えず、アメリカでは麻薬ビジネスが巨大化していった。ハリー・アンスリンガーは麻薬の摘発を行う一方で、政治家に麻薬を世話したりしていたという。
1960年代にベトナム戦争でさらに麻薬に関する社会問題でアメリカは苦しむことになる。兵士たちは死の恐怖と人の命を奪う罪悪感から逃れるために麻薬に溺れていった。軍はLSD(合成麻薬)の研究をするようになったが、それが民間に流れるようになった。
1980年代になると麻薬ビジネスの舞台は中南米に移ることになった。アメリカの麻薬取締局は捜査を国外にも広げる巨大組織に発展していた。南米ではコカインの原料は古くからお茶として飲まれており、裏社会がそれに目を付けた。多くの農家はコカ栽培をするようになり、コカインに精製されてアメリカに持ち込まれるようになった。コカインビジネスは反米感情を持っている他の中南米の国も巻き込むことになった。アメリカとコロンビアは麻薬カルテルの取締を強化し、カルテルのパブロ・エスコバルはそれに報復して多くの被害が出た。
20世紀末からアメリカはメキシコとの国境沿いに壁を建設するようになった。不法移民の流入を防ぐだけでなく、麻薬の流入を阻止するためだ。ただ麻薬カルテルはあの手この手で密輸を続けている。そうした中でアメリカではフェンタニルという医療用麻薬が広まっている。麻薬ビジネスの市場規模は50兆円になっており、世界で3500万人以上が苦しんでいる。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年2月18日放送 19:57 - 20:42 NHK総合
うたコン(うたコン)
1975年の映像とともにヒット曲を振り返った。

2025年2月7日放送 10:25 - 13:00 テレビ朝日
大下容子ワイド!スクランブルNEWSドリル
太平洋と大西洋を結ぶ交通の要所・パナマ運河。1904年・アメリカによって建設着工、1914年に開通。当時、世界最大の難工事をやり遂げた。しかしベトナム戦争後の1977年、当時のアメリカ・カーター大統領が運河をパナマに返還する条約を締結、その後1999年12月運河をパナマに返還された。アメリカ・トランプ大統領は2日、ルビオ国務長官を派遣しパナマの真意を正した。[…続きを読む]

2025年1月27日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(オープニング)
今回はベトナム戦争後のベトナムを特集。ベトナムとアメリカの戦争は「象とアリの戦争」と呼ばれていたが、ベトナムは愛国競争運動によって勝利した。ただ勝利の代償はあまりに大きかったという。

2024年12月29日放送 9:54 - 16:30 TBS
報道の日テレビ報道70年 8つの禁断ニュース
ベトナム反戦運動と同じころに起きた成田闘争。成田空港建設を巡って地元の農民らと新左翼が参加し激化した反対運動。取材していたTBSのスタッフが反対は農民と彼らが持ち込んだプラカードをロケ車両に乗せ移動したことが問題に。この頃、東京・飯田橋でプラカードで警官を殴った学生に初めて凶器準備集合罪が初めて適用。1968年3月27日、日本初のニュースキャスター降板。交番[…続きを読む]

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