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「ヤクルト」 のテレビ露出情報

話を伺ったのは、日本ドリンク協会理事で飲料専門家の江沢貴弘さん。所謂清涼飲料水の日本での始まりは、1853年黒船で来航したマシュー・ペリー。船に積んできたキュウリ瓶と呼ばれるガラス容器に入った炭酸入りレモネード。味付けはレモンと砂糖。味付けが強すぎると中で発酵してしまうので、味の少ないライトなテイストだったという。当時、ペリーが江戸幕府の役人に炭酸入りレモネードを振る舞うためコルク栓を抜いた所、音に驚いた役人たちは銃声と勘違いして刀を抜きかけたという逸話もあるという。その後1865年、長崎の商人がレモネードの製造を学び、レモン水の名前で販売したが名前が定着せず、レモネードがなまったラムネと呼ばれるようになった。1887年に玉入りラムネ瓶をイギリスから輸入。その後大阪のガラス会社が玉入りラムネ瓶の製造に成功。これまで使用していたキュウリ瓶が廃れていった。1900年代に日本にコカ・コーラが上陸。食品大手輸入商社の明治屋がコカ・コーラの広告を掲載。中には、お酒を飲まない人の飲み物として宣伝。その後戦争の影響で一時姿を消したが、昭和32年以降は国内の製造工場も誕生し日本でも製造開始。昭和3年には、当時無色透明が最大のウリだったキリンレモン、昭和10年ガラス瓶だったヤクルト、昭和26年バャリースオレンヂなど今も残る人気ドリンクが続々誕生。
昭和29年、ドリンク業界の転機は日本初の缶入り飲料が登場。明治製菓の発売による「明治天然オレンジジュース」は、以前は瓶飲料だったが紫外線の影響を受けるため、紫外線の影響がない缶入り飲料の開発に踏み切ったという。しかし当時はまだ缶切りで開けるタイプだったが、缶の蓋はどんどん進化し昭和40年には多くの企業がプルトップを導入。1989年には今でも使われているステイオンタブ式が日本で誕生。人気ドリンクが続々生まれる中、1965年に大塚製薬のオロナミンCドリンクが発売。炭酸入りの栄養ドリンクは当時革新的な新発想だったが、炭酸を加えると医薬品としての認可が得られないため食品として販売。主な取引先の薬局での販売が困難になり、これまで未開拓だったスーパーや銭湯など販売ルートを開拓していったことで新たなファンをゲット。大阪万博での販売があり、ヒットに繋がったという。
1970年代に、世界に先駆け開発された飲むヨーグルト「ジョア」、ネスレ日本のミロやキリンメッツ・グレープフルーツなどのヒットドリンクが次々に生まれるなか、1980年に誕生したポカリスエット。汗をかいたときに美味しく飲める味として開発されたが、発売当時は味が薄いと受け入れられず。そこで営業マンたちは野球場にいる少年野球の選手やサウナ終わりの人など汗をかいている人の元へ試飲してもらおうと足を運んだという。その甲斐もあり発売から2年目の夏に爆発的大ヒットを記録。
1980年代にドリンク業界は再び転機が訪れ、1982年に日本初のペットボトル飲料が発売。当時は500mlサイズはなかった。瓶飲料はリサイクルが可能だったが、当時ペットボトルは1回きりの販売になるためゴミが増えてしまう懸念があったため最初は1Lのボトル、その後リサイクルが進み小型化に進んでいった。80年代は、甘いものが主流だった市場に烏龍茶や緑茶などお茶系が登場。行楽やレジャーに行くようになり、お弁当と合わせるためのペットボトルや缶が多くなった。1986年には午後の紅茶が誕生。紅茶は冷やされると苦味成分のカフェインや渋み成分のタンニンが結合し白く濁る。ペットボトルにすることでにごりが気になってしまうが、その上で濁らない紅茶の発売は歴史的なことだったという。午後の紅茶はこれまで240種類以上のフレーバーが登場。
1990年代、平成に入ると芸能人が出演するCMやキャッチーなネーミングなど広告にも力を入れた商品が目立つように。1991年に発売され年間販売2000万ケースを突破したドリンクはカルピスウォーター。これまでは希釈されて水で薄めるタイプのカルピスだったが、最初から水で割った状態で発売するカルピスウォーターが爆発的に売れた。1993年若者たちの間でブームになったのが、ファッション感覚でミネラルウォーターを持ち歩くこと。当時、フランス産エビアンのロゴが見える革製のペットボトルホルダーに入れるのがトレンドだった。2000年代に入ると、オーガニック食品や自然派食材が増えてくるなど健康ブームが到来。ヘルシア緑茶や1日分の野菜など健康志向の飲み物が人気に。そんな中生まれた「コカ・コーラ ゼロ」。これにより健康志向の時代でも売り上げを大きく伸ばした。2007年の発売からわずか5年で累計販売本数50億本を突破。2015年に発売され爆発的ヒットしたのが「サントリー 南アルプスの天然水&ヨーグリーナ」。あまりの売れ行きに発売から3日後に一時出荷停止するほど一大ブームを巻き起こした。
人気だったが販売終了したドリンクを紹介。1989年発売の「鉄骨飲料」。当時、女優の鷲尾いさ子がCMで歌いながら踊る姿が話題になり一世風靡した。1999年発売の「ごめんね。」。ピンク色のパッケージで10代を中心に当時若者たちから人気を博していた。販売終了しても復刻を願う声があるという。2007年販売の「ドロリッチ」。飲むデザートという新しいカテゴリーを作ったコーヒーゼリーとクリームが混ざりあったドリンク。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年7月13日放送 20:50 - 21:54 テレビ東京
家、ついて行ってイイですか?(愛する趣味に没頭しまくりSP)
JR新小岩駅前で出会ったのは少年隊・植草克秀のファンミーティング帰りの女性・ちえさん(56歳)。サンリオやヤクルトスワローズも好きでスマホにはつば九郎のシールが貼ってあった。改めて自宅を訪れると、夫・海老名ひろしさん(60歳)が出迎えてくれた。3世帯住宅で1Fは両親、2Fは兄夫婦、3Fが海老名さんの住まい。築26年の持ち家で間取りは2LDK×3階。 階段には[…続きを読む]

2025年6月15日放送 7:30 - 10:25 日本テレビ
シューイチ今昔NEWSイッチ
話を伺ったのは、日本ドリンク協会理事で飲料専門家の江沢貴弘さん。所謂清涼飲料水の日本での始まりは、1853年黒船で来航したマシュー・ペリー。船に積んできたキュウリ瓶と呼ばれるガラス容器に入った炭酸入りレモネード。味付けはレモンと砂糖。味付けが強すぎると中で発酵してしまうので、味の少ないライトなテイストだったという。当時、ペリーが江戸幕府の役人に炭酸入りレモネ[…続きを読む]

2025年5月26日放送 13:55 - 15:50 日本テレビ
情報ライブ ミヤネ屋(ニュース)
4度目の優勝を果たし横綱昇進に大きく近づいた大の里。相撲の土台を築いた石川県津幡町少年相撲教室。全日本チャンピオンの小学生、本間恒亮。“第2の大の里”の将来の夢は「ヤクルトの配達員」。母が乳酸菌飲料の配達員だったことなどが理由。

2025年4月26日放送 18:51 - 20:54 TBS
ジョブチューン アノ職業のヒミツぶっちゃけます!睡眠のプロが国民のギモン解決SP
ヤクルト1000は2019年に発売され飲んだらぐっすり眠れると爆発的に口コミが広がり売り切れが続出した。脳と腸は密接に関係している。ヤクルト1000は神経に作用することによってストレスを和らげ睡眠の質を高めると考えられている。また腸内環境を良くすることが良い睡眠に繋がっている可能性もある。腸内環境を整えると昼間はセロトニンがメンタルを安定させてくれる。夜間は[…続きを読む]

2025年4月3日放送 9:50 - 11:30 フジテレビ
ノンストップ!カリカツ
飯尾さんが砂町銀座の余った食材を借りて調理。「お惣菜の揚一」で唐揚げの皮・「魚勝」でマグロの血合い・メガネ店「ここち」で赤ワインをいただいた。

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