椿鬼奴(旧姓・宮崎雅代)のルーツを探る。昭和41年、21歳になった摂野は鉄鋼関係の商社で働き始める。この時、出会ったのが営業部のエースとして活躍していた宮崎康生だった。2人は後に結婚。その後、康生の転勤で東京へ。翌年、長女として雅代が生まれた。この時移り住んだのが代官山の高級マンション。生活にも余裕があった。武吉に似て康生は教育に厳しい父だった。しかし、雅代は大学を卒業しても就職せず、アルバイトに明け暮れた。その日その日が楽しければ満足、そう思って飲み歩く日々が続いた。そんな時、友人に教えられたのがお笑い養成所の存在。雅代は習い事感覚の軽い気持ちで通い始めた。母でさえ理解しがたいお笑いの世界。まして厳しい父にはとても言えなかった。しかし、そんな時、一人だけ味方になってくれた人がいた。祖母・なすだった。康生は雅代がお笑い芸人をしていることを長年知らなかった。康生は「吉本で9年間くらいは下積みだったということですし、その間よく頑張ってくれたっていう気持ちが大きい」と語っている。
住所: 東京都新宿区新宿3-38-2
URL: http://www.fandango.co.jp/lumine/
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