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「レッド・ツェッペリン」 のテレビ露出情報

ジョン・レノンは第二次世界大戦中の1940年に生まれた。両親が離婚し、5歳の時におばの家に引き取られた。ジョン誕生の2年後、同じ港町でポール・マッカートニーが生まれた。ポールの親もジョンと同じく労働者階級だった。ポールもまた14歳で母を失っていた。お互いを知らない2人だったが、共通してロックンロールに夢中になっていた。1957年7月6日、2人は初対面し、大好きな音楽の話で盛り上がった。ジョンはポールをバンドメンバーに誘った。その翌年にはポールの友人であったジョージ・ハリスンも加入。
ビートルズを一躍人気者に押し上げたのはリバプールの実業家のブライアン・エプスタイン。エプスタインはリバプールでレコードショップを営む裕福な中流階級だった。客からたびたびビートルズのレコードはないのかと尋ねられたエプスタインは、ライブハウスに足を運んだ。そこでビートルズの曲に衝撃を受け、ビートルズのマネージャーに名乗り出た。1962年にはハンブルクで知り合った腕利きのドラマーであるリンゴ・スターが加入。エプスタインはビートルズのイメージチェンジを図った。おそろいの上等なスーツを身に着けさせ、港町の不良から洗練された都会の若者へとルックスを改造した。1962年10月、シングル「Love Me Do」でレコードデビュー。真っ先に熱狂したのは若い女性たち。ビートルマニア現象がヨーロッパ中に広がった。ビートルズは大好きな黒人音楽をベースに自分たちの言葉でリアリティ豊かな愛の歌を作った。
労働者階級の若者はビートルズに背中を押されて新しい文化を生み始めた。若い女性のスカートの丈は一気に短くなった。ミニスカートブームの火付け役となったのはツイッギー。ツイッギーも労働者階級の出身。ツイッギーは「ビートルズが階級の壁を壊した。育った環境なんて関係ない」と話している。1964年、ビートルズの衝撃はアメリカに上陸。ビートルズは後に女性の性革命をもたらしたグループだといわれるようになり、自分たちを音楽の道に導いてくれた尊敬すべき黒人のリトル・リチャードやファッツ・ドミノなどに事あるごとに敬意を表明して人種間の壁を壊したグループだともいわれるようになった。アメリカ・ジャクソンビルでのコンサートがアメリカ社会を揺るがせる。この地は特に黒人差別が激しい地域。野球観戦やコンサートでも黒人は隅の座席にまとめて追いやられていた。ビートルズはそんな状況に異を唱えた。ジャクソンビルの地元紙はビートルズを攻撃する社説を掲げた。しかし、ビートルズの意志は揺るがず。コンサートは黒人の隔離席を設けず決行されることになった。白人と黒人が入り交じる2万3000人が共に熱狂した。
ビートルズブームが巻き起こったのは欧米だけではない。アルゼンチンや日本ではビートルズのコピーバンドが上陸。たとえ偽物でも「ビートルズ」という名前が付くものなら何でも熱狂した。一方でビートルズを自由に聴けない国があった。社会主義国のソ連。西側の自由な思想を恐れていたからだ。しかし、ソ連の若者はラジオにかじりつき、エレキギターを自作しようとしていた。1966年6月、本物のビートルズが来日。しかし、伝統の武道の場・日本武道館を外国人のコンサートに使わせることに右翼団体が激しく抗議。テロ予告まで出る騒ぎとなった。4人は身の安全のため、ホテルから出ることを許されなかった。さらに、翌月のアメリカツアーでも事件が起こる。ジョン・レノンが新聞インタビューで何気なく発した言葉がキリスト教批判であると曲解され、大規模な不買運動が始まった。この一連の出来事は4人から人前に出て演奏する意欲を奪っていった。
休暇前の最後のライブを終えた後、ビートルズのメンバーはそれぞれ自由な時間を満喫した。ビートルズが再び人前に現れた時、ビートルズは大きな進化を遂げていた。メンバーは連日スタジオにこもって曲作りに没頭。1967年6月、ライブ休止後1作目のアルバム「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」が発売された。アルバムの裏には曲の歌詞が印刷された。これは前例のないことだった。4人はおそろいのスーツを脱ぎ捨て、髭を生やし、アイドルであることをやめた。音楽は、インド音楽・クラシック・シュールレアリスムなど古今東西の文化を取り入れた芸術に進化していた。
ビートルズの関係がぎくしゃくし始めても、その一挙手一投足は世界にブームを起こし続けた。ジョンは次第に前衛芸術家のオノ・ヨーコと過ごす時間が増え、ビートルズと距離を置き始めた。そして、当時の妻との離婚も決めた。その時、ジョンには5歳の息子がいた。1970年4月、ビートルズは解散を発表した。2023年6月、ビートルズ最後の新曲をAIの助けを借りて発表するとポール・マッカートニーが明かした。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年10月1日放送 11:50 - 13:50 フジテレビ
ぽかぽかぽいぽいトーク
「2人はお互いにしか見せない素顔があるっぽい」に2人は「◯」と答えた。2人はポピュラーソングコンテスト出身、世良はアマチュア時代からファンが殺到していた、八神が鍋に呼ばれていくと世良は食へのこだわりが強く鍋奉行をする、などと話した。また八神さんは「声帯は筋肉。声帯を支える筋肉をうまく鍛えないといけない。声を出すために顔の筋肉も使うし、背中の筋肉も使う。おしり[…続きを読む]

2024年7月21日放送 23:00 - 23:55 テレビ朝日
EIGHT-JAMデビュー40周年 TM NETWORK
HIDEが「後世に残る名曲」として「Time Passed Me By (夜の芝生)」をあげ、「どのようなアーティストや曲が源流になるのでしょうか!?」と質問。小室はT・レックス、ディープ・パープルといったハードロックが源流であったなどと明かした。naviは「壮大さと繊細さを兼ね備えた名曲」として「STILL LOVE HER (失われた風景)」をあげ、「作[…続きを読む]

2024年3月2日放送 17:15 - 18:00 NHK総合
NHK MUSIC SPECIAL(NHK MUSIC SPECIAL 松任谷由実 〜私と荒井由実の50年〜)
78年から81年まで、松任谷は毎年、2枚のアルバムをリリースしている。ビジュアル面で手を組んだのがアートデザイン集団、ヒプノシス。ピンク・フロイド、レッド・ツェッペリンなどのジャケットを手がけ、81年に発表された松任谷のアルバム「昨晩お会いしましょう」に関わっている。

2023年12月25日放送 23:00 - 0:00 フジテレビ
堂本兄弟堂本兄弟
anoは一問一答に答えた。生まれ変わったら高見沢になりたいというanoだが憧れているというがたてがみロールが羨ましいと答えた。またベストヒットたかみーを一緒にやりたいと答えた。そこで今回はその企画を行うことに。anoは音楽との出会いに父がギターを持っていて家でヴァン・ヘイレンなどの音楽がかかっていたという。
高見沢は聴いていた音楽にザ・ローリング・ストーン[…続きを読む]

2023年11月26日放送 12:54 - 14:00 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団特別企画!ロックスターのお宝鑑定大会
今村めぐみさんのお宝はレッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムのドラムスティック。ジョン・ボーナムは32歳でこの世を去った天才ドラマー。ドラムスティックは来日公演で交渉したところ手渡ししてくれたという。本人評価額は3万円で鑑定結果は30万円であった。

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