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「三木たかし」 のテレビ露出情報

漫画家やなせたかしさん。子どもたちに大人気アンパンマンの生みの親。アンパンマンは困っている人たちに自分の顔を食べさせて助けるヒーロー。やなせさんは自らが考える正義を伝えようとした。やなせさんは大正8年生まれ、少年時代を高知県で過ごした。子どもの頃から漫画が大好き。絵に関わる仕事に携わりたいと学生時代はデザインを学んだ。しかし、夢へと向かう道に戦争が影を落とす。昭和15年徴兵され、その後中国の戦地に送られた。当時やなせさんは戦争の正義を信じて戦った。ところが戦争を境に自分が信じた正義が一変してしまった。正義への疑問を抱えたやなせさん。戦後はプロの漫画家を目指す。しかし、漫画だけでは食べていくことはできず、イラストレーターや舞台美術など様々な仕事をした。そうした中でやなせさんが作詞をした「手のひらを太陽に」がNHK みんなのうたで流れ注目を集めた。一方、本業の漫画ではなかなかヒット作に恵まれない。悩み続けたやなせさんはずっと心に抱えてきた正義をテーマとする作品を書き始める。昭和44年はじめてアンパンマンが登場。アンパンマンがお腹をすかせた子どもに、あんぱんを配って回る小太りの男。当時流行していた正義の味方とは全く違うヒーローだった。その後の作品でアンパンマンは今の姿に大きく近づく。主人公は売れない漫画家。やなせさんが考える本当の正義が作品として描かれた。昭和48年やなせさんはストーリーと絵をわかりやすくして幼児向けの絵本を出版。大人たちからは自分の顔を食べさせるという設定がグロテスクだと不評だった。しかし、子どもたちの反応は違った。幼稚園や図書館でアンパンマンの絵本を夢中になって呼んでいた。昭和63年にテレビアニメも始まった。漫画家になって35年、69歳にしてやっと手にした代表作。アニメの主題歌も作品への思いを込めて作詞した。
アンパンマンを描き続けたやなせたかしさん。その一方で30年以上無報酬で続けた仕事がある。イラストレーターや詩人を目指す人達が作品を発表する雑誌の編集長。2011年3月11日東日本大震災が発生。当時やなせさんは90歳を超え、引退を決意していた。そこへ本人も驚くような知らせが届いた。ラジオでアンパンマンのマーチにリクエストが殺到。やなせさんは「現地の子どもから手紙が来る。私は怖くない。いざというときにはアンパンマン助けにきてくれるからと書いてあった。そう信じているならそれに値することをしなくちゃいけない」などコメント。やなせさんは病に侵された体をおして被災者の支援に乗り出した。直筆の色紙にはアンパンマンの言葉を記した。漫画家やなせたかしさんは自らの思いをアンパンマンに託し亡くなる直前まで描き続けた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年5月11日放送 5:50 - 8:28 テレビ朝日
グッド!モーニング(ニュース)
1995年に亡くなった台湾出身の歌手テレサ・テンさん。没後30年の今月8日、台湾で追悼式典が行われた。生前のヒット曲を収めたベストアルバムが先日発売。また、存在が初めて明かされた未発表曲が三木たかしのアルバムに収録され来月発売されることが決定。その「ラブソングは夜霧がお好き」の音源を紹介。

2025年4月21日放送 20:20 - 21:54 テレビ朝日
クイズプレゼンバラエティーQさま!!昭和のスゴい7人の作曲家SP
イントロ問題「昭和のスゴい作曲家3人目が手がけるこの歌謡曲は何?」と出題。正解は「津軽海峡・冬景色」。

2025年4月19日放送 21:00 - 23:10 フジテレビ
土曜プレミアムものまねドリームカバー
小林穂高が「夜桜お七(坂本冬美)」を福山雅治のモノマネでカバーして披露。

2025年3月22日放送 1:19 - 1:44 NHK総合
ノルノルミシル!高知・やなせたかしさんにふれる旅 前編
「アンパンマン」の作者・やなせたかし。その生まれ故郷・高知県香美市の土佐山田駅にやってきた。香美市観光協会で働く小関さんは東京出身。やなせの作品に惹かれてこの街へ。特に気に入っているのは、「なんのために生まれて 何をして生きるのか わからないまま終る そんなのはいやだ!」「人生は喜ばせごっこ」などの詩。
「アンパンマン」の作者・やなせたかし。その生まれ故郷[…続きを読む]

2025年1月1日放送 15:07 - 15:09 NHK総合
あすへのエールあすへのエール
阿久悠が作詞、三木たかしが作曲した「能登半島」を歌う石川さゆり。「大変な毎日を強いられて過ごしていると思う。どうぞ元気にいてください」と語りかけた。

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