- 出演者
- 薬丸裕英 峰竜太 山田五郎 井ノ原快彦 中原みなみ カンニング竹山 入山杏奈
オープニング映像。
今回は四谷三丁目。地形が複雑な東京の中でもここは特に面白い窪地の街。アンパンマンの生みの親、やなせたかしさんもこの街と深い関わりがある。
20位は個性派美食。「uniRA」はウニラーメンの専門店。ウニが溶け込んだスープが特徴。更に旬のウニをトッピングすればより贅沢になる。「上原食堂」はかき氷専門店。フレンチのシェフが手掛ける、食事系かき氷が楽しめる。
19位は「昔の名前で出ています」。新宿区には古い地名が残っている。海も川もない「舟町」にある全勝寺の参道周辺は江戸時代杉林だった。その杉で作られる丸太は”四谷丸太”と呼ばれ、船造りに使われていたのだという。
18位「東京おもちゃ美術館」。かつてあった小学校を活用した「四谷ひろば」にあり、主に木のおもちゃで遊べる。おもちゃ学芸員が遊びをサポートしてくれる。
17位 居酒屋 あぶさん。昭和61年創業。店主が水島先生と同じ草野球チームだったという。水島先生がプロ野球選手を連れてきたのをきっかけに、野球ファンの聖地になった。竹山さんも来店するという。
16位 アンパンマンショップ。外苑東通りを北へ。アンパンマンショップ専門店だ。高知やなせたかし記念館 四谷・富良野アンパンマンショップ限定。外苑東通りは当時寂れていたと語っていたやなせたかしさん。新しい客層を呼び込んだ。
やなせたかしさんの貴重な映像だった。所属事務所のサンミュージックがあるというカンニング竹山さん。竹山さんの自宅も近くにあるという。居酒屋 あぶさんは野球ファンでいっぱいだ。入山さんは曙橋に住んでいたとのこと。荒木町は有名なすり鉢地形。独特な磁場がある。
14位 たん焼 忍。肉好きの聖地と呼ばれる牛タン料理の店。ご主人の料理と、忍さんの人柄が店を支えてきた。ゆでたんはわさびと合うという。
13位 策の池。会津若松城の松平容保。新選組を配下にもつ京都守護職。松平容保は松平摂津守のお屋敷。荒木町にいまも残る庭園の池。街の人には大事な場所。明治時代には一般に解放された策の池。景勝地として愛された。花街として発展した。昭和58年に花街は歴史を閉じた。石畳は街の宝物だ。
12位 鈴新。とんかつの名店。昭和33年創業。芸者さんがとんかつをお客さんと食べに来てくれたという。揚げ油をラードから手作りしている。かけかつ丼が名物だ。あっさりしている味だと峰さんが言う。
11位 名物ママの店。荒木町には魅力的なママがいるスナックやバーが軒を連ねる。赤いきゃべつのママは現役の歌手。CDもリリースしている。ピガールは創業から57年。割烹着を着た母と娘で営む。足繁く通ったのは石津謙介さん。ジントニックを好んだという。壁に落書きをしたとのこと。
四谷三丁目駅近くの荒木町は都内では珍しい”すり鉢地形”で、一帯は坂と階段だらけだという。中でもフランス・モンマルトルを彷彿とさせる階段が有名とのこと。
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- モンマルトル(フランス)荒木町(東京)
四谷三丁目界隈には江戸前寿司の人気店が増加中。「日本橋 寿司金」では去年引退した五代目・秋山弘さんの後を息子の勝弘さんが受け継いでいる。寿司金が特にこだわるのがマグロ。店で最初に必ず出るのが赤身のわさび和え。そこから選りすぐった様々な部位が提供される。中でもマグロの胸ビレの下あたりにある希少部位「ヒレ下」は日本で寿司金しか出していないとのこと。
四谷三丁目は18の中華料理店が鎬を削る激戦区。荒木町にある「南三」は”南方中華料理”を謳う話題の店。日本ではあまり馴染みのない食材や調味料を駆使した料理が楽しめる。2014年にオープンした「の弥七」は過去のアド街を見て荒木町への出店を決めたという。和と中をミックスした魅惑的な皿の数々を楽しめる。
7位は太田プロダクション&サンミュージックプロダクション。片岡鶴太郎さんをはじめ、数々の人気お笑い芸人を排出してきた太田プロダクション。サンミュージックのタレントは第一号が森田健作さんで、近年は個性的な芸人も増えている。両者の今年来るイチオシ芸人を紹介。太田プロからは結成11年目の青色1号、サンミュージックからは2年目のシャンソン姉さんがネタを披露した。
6位は羅生門&名門。「羅生門」はビートたけしがオールナイトニッポン終わりによく足を運んだという、名物は「梅タン」。店内にはやなせたかしさん直筆イラストが。店主の山本さんによると、色をつけたいから醤油を貸してくれと言われ、指で色をつけたのだそう。「名門」は昭和41年創業。フジテレビが近くにあった頃は業界人で賑わった。店主のヤッキー中村さんによるコミカルな接客が名物。ADに特に優しくする戦法をとっていたということ。
5位は「やなせたかし」。「あんぱんまん」の絵本ができた当初、あまり認めてもらえなかった。そんな頃、やなせさんが写真の現像のため地元のカメラ店を訪れる。そこで店主の母、野田しげりさんがアンパンマンを毎日のように読んでいると話したらすごく喜んでくれたそうで、サインを貰ったのだという。四谷子ども園は「光のこども」という園の歌を作ってもらったそう。この地域にあるやなせさんのスタジオを長年支えてきたのが越尾正子さん。妻の暢さんに誘われて入社し、後に秘書になった。暢さんの茶道教室に習いにきていたのが出会ったきっかけだったという。