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「三菱重工」 のテレビ露出情報

1994年、H2初号機の打ち上げに成功し日本の技術者たちは喜びを爆発させた。その輪の中に大学を2年留年し、宇宙開発事業団に入社した苦労人がいた。それが岡田匡史だった。岡田は少年時にNASAのアポロ11号の打ち上げに心を奪われロケットエンジニアになること目指した。東京大学航空学科に進学し、ハンググライダーにのめり込んだが事故を起こし、リハビリに2年を費やすことになった。絶対安静で大学は留年。看護主任だった柳井操は焦る岡田を見守った。リハビリが終わり、退院する岡田を柳井は駅まで見送ってくれたという。助かった命を岡田はロケット開発に注ぎ込んだ。40代に岡田はマネジメントを学ぶためNASAに送られた。派遣の理由はJAXAが開発力の低下を危惧したためだった。H2は5号機、8号機とエンジンが故障。わずか5年で運用終了となった。日本はH2Aロケットを開発。信頼性は高まったが打ち上げ価格は1回100億円。国際市場では戦えなかった。ちょうど同じ頃、ロケットエンジンの国際学会で世界が驚く発表があった。発表したのはJAXAでエンジンの研究を行ってきた黒須明英。エンジンを爆発から守る画期的な燃焼方式「エキスパンダーブリードサイクル」をぶち上げた。エキスパンダーブリードサイクルの研究はJAXAと三菱重工が共同で進めてきた。三菱重工の田村貴史もこのエンジンに夢を託していた。田村は発電装置を作っていたがどうしてもロケットに携わりたいと猛アピールして移動を果たした。2008年、ロケット市場に異次元の嵐が到来。民間企業がロケット開発に成功した。スペースXを創業したのはイーロン・マスク。ロケットの価格破壊を目指してNASAのエンジニアをスカウトして6年。2010年には日本のH2Aとほぼ同じ能力のファルコン9を開発。打ち上げ価格は50億円。世界の衛星打ち上げを格安で受注し一気に技術を飛躍させる戦略だった。岡田は日本の宇宙開発計画を政府と交渉していた。日本が新型ロケット開発を決定したのは2013年。プロジェクトマネージャーに指名されたのは岡田だった。打ち上げ目標は2020年度。世界の市場に売り込むには性能、信頼に加えコストダウンが欠かせない。岡田は「エキスパンダーブリードサイクル」にかけた。構造がシンプルで高い安全とコストダウンが見込める。メインエンジンはLE-9と命名された。開発主体はJAXAと三菱重工。150社以上が加わる巨大開発が一気に動き始めた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年10月29日放送 15:49 - 19:00 TBS
Nスタ(ニュース)
昨夜、アメリカ大使公邸に楽天・三木谷浩史会長兼社長やファーストリテイリング・柳井正会長、日本航空・鳥取三津子社長、アップルのティム・クックCEOなど企業のトップたちが集まった。日米の経営者が参加した夕食会でトランプ大統領は対米投資を呼びかけた。きのう、日米首脳会談後に総額60兆円の対米投資が明らかになった。ソフトバンクは最大3兆円規模とされる電力インフラ整備[…続きを読む]

2025年10月29日放送 8:00 - 9:55 テレビ朝日
羽鳥慎一モーニングショー(ニュース)
視聴者からLINEで質問・意見を募集している。パネルコーナーはTVer・ABEMAで配信中。
きのう午前9時50分ごろから日米首脳会談が行われ、午前11時ごろからワーキングランチが行われ、午前11時40分ごろから拉致被害者家族と面会を行い、午後3時50分ごろから横須賀基地を視察し、午後7時半すぎから企業経営者らと会食を行った。
ワーキングランチのメニュー[…続きを読む]

2025年10月29日放送 5:25 - 8:14 フジテレビ
めざましテレビNEWS
アメリカ・トランプ大統領は昨夜、都内で開かれた日米の企業トップらを招いた夕食会で「日本はアメリカへの直接投資の最大の供給源となっている」と話し、日本企業によるアメリカへの投資に期待を示した。トランプ氏はこのあとAPEC(アジア太平洋経済協力会議)が開かれる韓国を訪問し、李在明大統領と会談するほか、30日には中国・習近平国家主席と会談し、貿易や違法薬物対策など[…続きを読む]

2025年10月27日放送 9:21 - 9:26 テレビ東京
Mナビ(Mナビ)
東京株式市場取引開始からの動き。日経平均株価は史上初めての50000円の大台に乗せ全面高の展開。主力株も揃って上昇。信越化学工業は軟調。

2025年10月25日放送 20:00 - 20:50 NHK総合
新プロジェクトX〜挑戦者たち〜東京湾アクアライン〜土木のアポロ計画 海底トンネルに挑む〜
1993年、千葉・木更津側では順調に橋の土台が築かれていた。一方、海水を注入した人工島。水を抜いた後、内部の鉄筋がサビないように200人がかりで洗浄作業に取り掛かり完璧に海水を落とした。1994年11月、世界最高のシールドマシンが4台やって来た。作ったのは川崎重工と三菱重工の技術者たち。松田豊は神戸からの遠征に気合が入っていた。松田の出張中の唯一の楽しみは家[…続きを読む]

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