2025年10月25日放送 20:00 - 20:50 NHK総合

新プロジェクトX〜挑戦者たち〜
新プロジェクトX 東京湾アクアライン〜土木のアポロ計画 海底トンネルに挑む〜

出演者
有馬嘉男 森花子 米沢実 松田豊 富田一隆 
(オープニング)
オープニングトーク

有馬嘉男らが東京湾アクアラインにやって来た。アクアラインの総事業費は1兆4400億円。土木のアポロ計画と呼ばれた世紀の巨大プロジェクトだった。

キーワード
東京湾アクアライン
オープニング

オープニング映像。

東京湾アクアライン〜土木のアポロ計画 海底トンネルに挑む〜
トーク

有馬嘉男らが東京湾アクアラインにやって来た。アクアライン直径14mのシールドマシンで掘られた。海底トンネル部分が約10km。橋の部分が5km。大型船の通り道になっているので背の高い橋を必要としたが、近くに羽田空港があるので背の高い構造物を建てることができなかった。そこで海底トンネルを作ることになった。

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東京湾アクアライン
東京湾アクアライン “土木のアポロ計画”海底トンネルに挑む

1970年代、首都圏では急激な人口増加により、深刻な交通状態が発生していた。そのころ、内田恵之助が壮大な道路計画に燃えていた。東京湾アクアラインが実現できれば渋滞も緩和でき、災害時の迂回ルートにもなる。しかし東京湾にトンネルを掘るのは世紀の難工事と囁かれていた。海底下は世界でも有数の軟弱地盤。マヨネーズ層と呼ばれるドロドロの地層が堆積しトンネルを掘り進むのが困難だった。日本の技術を全て注がなければ無理だ。内田のもとに大手ゼネコンや製造メーカーなど100社以上が集結した。そのスケールと難しさから土木のアポロ計画と呼ばれた。1989年、世紀の大工事が幕を開けた。プロジェクトの命運を握る最重要施設は「川崎人工島」。深さは70m。大手ゼネコンが担当する4台のシールドマシンの発進基地だった。当時のマシーンが1度に掘り進められる距離は3kmが限界。そのため川崎と木更津の両側からも2台ずつマシーンを発進させ4箇所で地中結合する計画。人工島には毎日300人の作業員がフェリーで上陸した。ここが技術の見せ所だと各社自前の設備を持ち込もうとしていた。しかしその様子を心配そうに見ていたのが米沢実だった。米沢は前者が設備を持ち込めば工事が遅れると思っていた。その時、鹿島建設のボス・高野孝が「全社にとっての最適解を探せ。自分のことだけを考えるな」と助け舟を出した。米沢は4つのチームが協力して使える共有のリフトを作ろうと考え練り上げたプランを発表した。1993年、直径100mの穴は順調に掘り進められていた。半年をかけ70m地点まで到達し鉄筋ブロックも搬入された。そんな時、米沢らのもとに、底から水が出ていると連絡が入った。高野が現場を訪れると鹿島建設の担当場所から許容量を超える水が吹き出していた。そこで、上から海水を注入し圧力を加え地下水の勢いを止める。その隙に緩んだ地盤を固めた。しかし鉄筋ブロックは海水に浸ってしまった。元通りにするには半年かかるという。

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スタジオトーク

東京湾アクアラインの建設について米沢実は「一致団結は稀有な例。それくらい力を結集しないとうまくいかない。リーダーの高野さんは、厳しさと優しさを兼ね揃えている。細かく説明しない。全て任せたみたいなことを言われるので自分で考えるしかない。任せたって言ったら会議にもでないから、やり切るしかないと思った」などと話した。

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東京湾アクアライン
東京湾アクアライン “土木のアポロ計画”海底トンネルに挑む

1993年、千葉・木更津側では順調に橋の土台が築かれていた。一方、海水を注入した人工島。水を抜いた後、内部の鉄筋がサビないように200人がかりで洗浄作業に取り掛かり完璧に海水を落とした。1994年11月、世界最高のシールドマシンが4台やって来た。作ったのは川崎重工と三菱重工の技術者たち。松田豊は神戸からの遠征に気合が入っていた。松田の出張中の唯一の楽しみは家族と毎晩電話で話すことだった。しかし2カ月後、阪神・淡路大震災が発生。家族が暮らす須磨区ではビルが倒壊し火災も起きていた。妻とは連絡がついた。子どもと車で寝泊まりし、お菓子で飢えをしのいでいたという。川崎人工島には被災地に家族を置いてきたものが大勢いた。高野は部下たちにいますぐ家族のもとに帰れと号令をだした。しかしシールドマシン担当者は全員神戸から来ていた。全員が変えれば工事が遅れると、松田は話し合い順番に部下を帰し自分は最後だと決めていた。震災から2カ月、松田は家族の元へ帰った。松田は妻に詫び、完成したら一緒に渡ろうと約束し1週間後、現場に戻りマシーンを仕上げた。シールドマシーンが掘り始める時には柔らかい地盤から水が吹き出すリスクがあった。そのため地盤凍結機を使い土を凍らせ出水をガード。そして手前の壁を重機で壊し、発進させる計画。しかし壁が土と水の圧力に押され想定の2倍以上硬くなっていた。ボスの高野は発破で壁を壊すことを決め、この方法は見事成功した。着工から6年、足踏みしていた4台のシールドマシーンが一気に動き出した。

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スタジオトーク

東京湾アクアラインの建設について松田豊は「こんな大きな仕事を担当させてもらえるんだって嬉しかった。ただプレッシャーがあった」などと話した。スタジオにシールドマシーンの刃が登場した。刃は超硬合金でできているという。

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東京湾アクアライン
東京湾アクアライン “土木のアポロ計画”海底トンネルに挑む

1996年、千葉県側では橋の建設が完了し海ほたるの土台が築かれていた。4台のシールドマシーンは軟弱地盤に挑んでいた。カッター部分に送り込むことで高い圧力をかけ軟弱地盤の崩落を防ぐ。さらに掘り進めながらコンクリートブロックを組み固めていく。そして工事は最難関の地中接合に差し掛かった。反対側から掘ってきた他社のマシーンとドッキングする。米沢たちは直径14mの巨大シールドをわずか5mmのズレに抑えていた。接合地点ですべて完璧に落ち合った。あとはマシーンの先端部分を解体しコンクリートブロックをはめれば完成。再び地盤凍結機が投入された。しかし接合作業の直前に台風17号が日本列島を直撃。多くの作業員が避難するなか、米沢は泊まりの当直当番。突然停電が起こり、米沢は電気設備を確認しに行くと凍結機が停止していたことがわかった。このままでは凍土が溶け地中から水や土砂が流れ込む恐れがある。米沢は凍結機の担当者に電話をかけた。当直は富田一隆。8時間以内に復旧しないと全てがダメになる恐れがあった。電力復旧班によって電機は回復したが凍結機は動かなかった。この時、現場で凍結機を動かせるのは富田だけだった。富田は4箇所の凍結機を手動で動かすため、走って凍結機まで向かった。2時間かけて1台目を復旧させた。2箇所目、3個所目を起動させ、最後の凍結機へ。しかしすでに10km以上走り、体力は限界だった。その時、復旧班の1人が自転車を発見。富田は自転車に乗り凍結機へ向かった。凍結機の配管が壊れていたが富田は見事、配管を直した。その後、地中接合は成功し1997年、アクアラインは完成した。

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スタジオトーク

富田一隆は「自転車が見つかっても、ギリギリだっていう認識で走っていた」などと話した。アクアラインが完成したときについて松田豊は「車を借りて何回か往復した」などと話した。松田豊は「シールド工事のロールモデルというか技術を1段上げていくための踏み台というかハードルになったと考えている」などと話した。米沢実は「自分が手掛けたものは社会の役に立つ。これが出来て便利になったよって声がたくさん聞ける。本当に嬉しい」などと話した。

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東京湾アクアライン
東京湾アクアライン “土木のアポロ計画”海底トンネルに挑む

完成から28年、アクアラインは今、1日5万台以上の車が行き交う。千葉と神奈川が15分で繋がり、食料品や医療機器を運ぶ大動脈となっている。東日本大震災では重要なバイパス道路となり大型トラックが1日9000台以上、物資を運搬した。海底トンネル工事をけん引した高野孝は7年前に亡くなるまで毎年食事会を開き部下を労い続けた。米沢実は高野の「自分のことだけを考えるな全体がうまくいくよう判断しろ」この言葉を道しるべにしている。松田豊は妻と一緒にアクアラインを訪れた。

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東日本大震災阪神・淡路大震災高野孝
(エンディング)
次回予告

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