円広志はデビュー前にロックバンドのボーカルをしていた。その時の写真を紹介した。コンテストで賞をもらい、世良公則が円広志のマイクを準備していた。しばらくして世良公則がプロでデビュー。世良公則のライブで円広志はガードマンのバイトをしていたという。妻は高校の時の同級生で大学を卒業してすぐに結婚した。ラブホテルで妻から結婚してほしいと言われすぐに両親に挨拶をしたという。円広志は「僕は幸せだから、僕が幸せにできるかわからないけど、僕は幸せなんだという気持ちはずっと変わらない。2年前に亡くなったんだけど、僕は彼女を幸せにしたんだろうか?って初めて思った。少なくとも亡くなるまで僕の奥さんだったってことは事実として変わらない。楽しかったもんな」などと話した。デビュー曲「夢想花」が80万枚の大ヒット。円広志が「夢想花」を披露した。半年後に「愛しのキャリアガール」を出しちょっと売れ、その次に出した「LOVE SONG」で歌手生命が絶たれたという。円広志はヒット曲に恵まれずに貯金がゼロになった。それを機に大阪に帰った。島田紳助がきっかけでテレビの世界に入ったという。島田紳助から送られてきた手紙に悪口が書かれていて、円広志はラジオ番組に乗り込み喧嘩をしたら、テレビ局のプロデューサーがこれは面白いと番組に呼ばれるようになったという。
