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「中区(広島)」 のテレビ露出情報

2023年11月に一人の被爆者がこの世を去った。細川浩史さんは95歳。長年にわたって、被爆証言続けてきた細川さんは原爆の恐ろしさと世界の平和を訴え続けてきた被爆者の一人。1945年の8月6日に広島に落とされた原爆。浩史さんは当時17歳で爆心地からおよそ1.3キロの距離の勤務先の建物で被爆。爆風で飛び散ったガラス片が体中に突き刺さったまま必死の思いで逃げた。一命をとりとめた浩史さんだったが、爆心地から700mの場所で建物疎開中に被爆した妹を失った。女学校に通っていた瑤子さんが原爆で亡くなる前日の8月5日まで書き続けていた日記がある。浩史さんはこの日記帳を片時も離さずに生涯大切に持っていたという。英語版としても出版された日記は海外で評判を呼び、それがきっかけで浩史さんは被爆体験を語り始めた。2023年度末の時点で全国にいる被爆者は10万6825人。2008年度末に23万人を越えていた被爆者の数はこの15年間の数で13万人減少した。細川浩史さんが息を引き取って2週間、仏壇に手をわせていたのはその息子の洋さん。間近で見てきた老いゆく父親の姿に、懸命に平和を訴えてきた被爆者の死が大きく報じられる事はなかった。やりきれない思いと共に、手元に残っていたのは父が大切にしていた瑤子さんの日記帳。いつか広島の平和記念資料館に寄贈したいと考えているという。
洋さんは高校で40年間国語の教師として立ち、校長として多くの生徒を送り出してきた。退職を機に、第二の人生として歩み出したのは家族の被爆体験や思いを後世に語り継ぐ家族伝承者。広島市から認定を受けて被爆者の家族として思いを新たにする。父がなくなって2ヶ月、洋さんの姿は原爆資料館にあった。父の被爆体験を伝えていく覚悟で、浩史さんも見守っている。息子からみた父とは少し違う、語り部として懸命に歩んできた一人の人間の姿に触れた瞬間だった。父のことをもっと知りたいと洋さんは父の浩史さんの人生を変えたあの日をたどる。郵便や通信を担う、広島逓信局で働いていた浩史さんは大きな柱が原爆の爆風を防ぎ、一命をとりとめたという。その場所には今も建物の一部が残っている。父は何を考えていたのか?燃え盛る炎から逃げてたどり着いた河原では水を口にする死ぬという周囲の大人たちの言葉を信じて苦しむ男子中学生に水を飲ませることができず、その事をずっと後悔していたという。
今となっては、聞くことができないあの日のことだが被爆体験を語り継ぐ伝承者として、父の死が重くのしかかる。被爆体験の伝承は被爆者の減少や高齢化が進む中で広島市は被爆者に代わり体験や思いを伝える伝承者の養成をはじめた。伝承者は、被爆者にかわって体験や思いを伝え体験を語り継ぐ被爆体験伝承者と子や孫が体験を語り継ぐ家族伝承者にわけられ、あわせて264人が現在活動している。研修期間は概ね2年間で被爆者が亡くなると研修は打ち切りになり伝承者として認められない。伝承者養成に残された時間は限られている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月2日放送 9:00 - 9:30 NHK総合
週刊情報チャージ!チルシル特集
広島市立幟町小学校の児童が平和を伝える先生。下級生や修学旅行生に原爆にまつわる場所を案内している。こども先生のいいところは年齢が近くて質問しやすい。こども先生がこれまでに教えたのは100人以上。

2025年8月1日放送 5:00 - 6:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(ニュース)
被爆者たちが手記を寄せた寺前さんは原爆で左目を失った。18歳で被爆した阿部さんは大やけどし顔や体にケロイドが残った。完成した手記を家族に見られまいと風呂の下で燃やした。手記が公開されたのは被害に光が当たらない空白の10年。その後の運動にも大きな影響を与えた。阿部さんは98歳を前に新たな手記を出版した。

2025年7月30日放送 2:10 - 2:35 NHK総合
コネクトヒロシマ・ノートをつなぐ
広島出身のアーティスト重藤裕子さん、広島赤十字・原爆病院の重藤院長のお孫さん。裕子さんは、日本にやってきた難民を支援する仕事をしながら銅版画を描いている。”広島的なもの”それは、様々な形で息づいている。

2025年7月28日放送 3:45 - 4:30 TBS
TBS NEWS(ニュース)
広島城三の丸ちかくで開かれた縁日。様々なプレゼントも用意された。縁日は10月4日まで毎週末開催。

2025年7月23日放送 14:05 - 14:50 NHK総合
列島ニュース広島局 昼のニュース
原爆投下後の街の様子を被爆者などが描いた絵を入れて、広島市内の街角に設置されているモニュメント「原爆の絵碑」が19年ぶりに原爆ドームに近い相生橋のそばの緑地に新たに設置され除幕式が行われた。被爆者などが描いた原爆の絵をはめ込んだモニュメントで、市内各地の道路沿いに設置。新たに設置された絵碑には、黒焦げになった幼児の遺体を描いた絵、相生橋の下の川を遺体が流れる[…続きを読む]

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