戦争が終わってジャズやタップダンスは解禁される。しかし大勢いたタップダンサーは姿を消していた。まず中川三郎さんは4人の子どもたちにタップダンスを仕込み、中川ツルーパーズとして米軍基地などを巡った。昭和30年代、自分も踊りたいと思う人が増加し、中川三郎さんがタップダンス教室を開くと3000人の生徒が集まった。中川三郎さんはマンボ、ジルバなど流行の音楽に乗せて踊りやすいダンスを次々と紹介し、日本中を巡った。またダンス教室を全国に作り、社交ダンスを普及させた。さらに昭和40年にはディスコをオープンさせた。舞踏評論家の乗越たかおは「日本のダンス環境を変えていった人」と評した。
中川三郎さんのもとにはたくさんの著名人もタップダンスを習いに来ていて、最後に直接指導を受けたのが俳優の水谷豊さんで、「ブギウギ」には水谷さんの娘・趣里さんが主演している。
中川三郎さんのもとにはたくさんの著名人もタップダンスを習いに来ていて、最後に直接指導を受けたのが俳優の水谷豊さんで、「ブギウギ」には水谷さんの娘・趣里さんが主演している。