- 出演者
- 古谷敏郎
オープニング映像。
今回は「伝説のタップダンサー 中川三郎さん」ほか。
- キーワード
- 中川三郎連続テレビ小説 ブギウギ
気象情報を伝えた。
「連続テレビ小説 ブギウギ」の主人公のモデルは笠置シズ子さんだが、作中には歌だけではなくダンスのシーンも多く登場する。戦前大人気だったのがタップダンスで、作品でも参考にしたのがタップダンサーの中川三郎さんである。中川さんは戦前はショービジネスのトップスター、戦後はプロデューサーとして活躍した。
世田谷区にある中川三郎スタジオを訪問。出迎えてくれたのは三郎さんの三女でダンサーである中川裕季子さん。三郎さんは1916年に大阪に生まれ、13歳でタップダンスに出会い、下駄で練習した。その後、横浜でアメリカ人のタップダンスを見て衝撃を受け、17歳で渡米した。世界恐慌後のアメリカではなかなか仕事に就けなかったが、コンテストの賞金などで食いつないだ。
中川三郎さんはブロードウェイの舞台にたつチャンスを摑み、アメリカで人気に。その後帰国して日本で大スターとなった。1938年には松竹楽劇団に所属し、笠置シズ子とともに2大スターと呼ばれた。その後戦争が始まり、タップダンスなどは敵性音楽として上演が制限された。三郎さんは中国大陸に向かったが、スパイ容疑をかけられた。その後、三郎さんを含め、多くのダンサーがダンスを踊る機会を失った。
戦争が終わってジャズやタップダンスは解禁される。しかし大勢いたタップダンサーは姿を消していた。まず中川三郎さんは4人の子どもたちにタップダンスを仕込み、中川ツルーパーズとして米軍基地などを巡った。昭和30年代、自分も踊りたいと思う人が増加し、中川三郎さんがタップダンス教室を開くと3000人の生徒が集まった。中川三郎さんはマンボ、ジルバなど流行の音楽に乗せて踊りやすいダンスを次々と紹介し、日本中を巡った。またダンス教室を全国に作り、社交ダンスを普及させた。さらに昭和40年にはディスコをオープンさせた。舞踏評論家の乗越たかおは「日本のダンス環境を変えていった人」と評した。
中川三郎さんのもとにはたくさんの著名人もタップダンスを習いに来ていて、最後に直接指導を受けたのが俳優の水谷豊さんで、「ブギウギ」には水谷さんの娘・趣里さんが主演している。
「かぶとしらすのトマトスープ」の作り方。かぶは水洗いし、皮ごと葉も使う。かぶは縦に16等分、かぶの葉は1cm、赤とうがらしは種ごと小口切りにする。しらす、カップトマト缶、にんにくなどを混ぜ、ラップをして600Wの電子レンジに4分30秒かける。
視聴者から寄せられたメジロの写真を紹介した。
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タップダンサー中川三郎さんについて語ってエンディング。
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