世田谷区にある中川三郎スタジオを訪問。出迎えてくれたのは三郎さんの三女でダンサーである中川裕季子さん。三郎さんは1916年に大阪に生まれ、13歳でタップダンスに出会い、下駄で練習した。その後、横浜でアメリカ人のタップダンスを見て衝撃を受け、17歳で渡米した。世界恐慌後のアメリカではなかなか仕事に就けなかったが、コンテストの賞金などで食いつないだ。
中川三郎さんはブロードウェイの舞台にたつチャンスを摑み、アメリカで人気に。その後帰国して日本で大スターとなった。1938年には松竹楽劇団に所属し、笠置シズ子とともに2大スターと呼ばれた。その後戦争が始まり、タップダンスなどは敵性音楽として上演が制限された。三郎さんは中国大陸に向かったが、スパイ容疑をかけられた。その後、三郎さんを含め、多くのダンサーがダンスを踊る機会を失った。
中川三郎さんはブロードウェイの舞台にたつチャンスを摑み、アメリカで人気に。その後帰国して日本で大スターとなった。1938年には松竹楽劇団に所属し、笠置シズ子とともに2大スターと呼ばれた。その後戦争が始まり、タップダンスなどは敵性音楽として上演が制限された。三郎さんは中国大陸に向かったが、スパイ容疑をかけられた。その後、三郎さんを含め、多くのダンサーがダンスを踊る機会を失った。