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「久高島」 のテレビ露出情報

沖縄出身の世界ジュニアフライ級チャンピオン・具志堅用高。チャンピオンとなったあと、地元・沖縄の石垣島に家を新築。かつて、母親から渡された4万円だけを手に上京した具志堅。世界タイトルを手にしてからの3年間、3億円近いファイトマネーを稼いだ。地元からの応援も大きかったという。
沖縄出身の世界ジュニアフライ級チャンピオン・具志堅用高。生まれは沖縄北部の本部町。一族の墓もここにあり、清明祭が行われると全国から一族が集まる。この年の清明祭は具志堅の8度目の防衛戦の日と重なり、勝利を祈る催しなどが行われた。
沖縄出身の世界ジュニアフライ級チャンピオン・具志堅用高。名前はおじ・用高に由来。その祖父が沖縄に入植したのは明治12年。この年、琉球王朝が終わり沖縄県が誕生。旧王朝に仕えていた具志堅一族はこの時没落し、各地に散っていった。明治31年、沖縄にも徴兵令が敷かれた。用高(おじ)は明治44年に入隊。当時は標準語を知らなかったが、銃剣の腕は連帯随一だった。
沖縄出身のボクシング世界チャンピオン・具志堅用高。その一族が沖縄・本部町に移住して100年。昭和14年、南洋群島にこの一族など沖縄出身者が多く移住。そのほとんどは漁師として働いた。稼ぎは当時の沖縄県知事を超えるほどだった。
沖縄出身のボクシング世界チャンピオン・具志堅用高。沖縄が本土に復帰した2年後の昭和49年に上京。高校ボクシングで優勝しオリンピック候補として進学を勧められていたが、「金メダルよりカネ」とプロ入りを説得され協栄ジムに所属。母・ツネは沖縄近くの久高島出身。父・用敬は沖縄・本部町出身。小学校を出て岐阜の工場で働き、戦後故郷へ戻りカツオ漁師に。ツネとは出稼ぎで結ばれた仲。
沖縄出身のボクシング世界チャンピオン・具志堅用高。一族は200家族・1500人いるが、戦死者も少なくない。
沖縄出身のボクシング世界チャンピオン・具志堅用高。その故郷・沖縄では6月23日が慰霊の日。具志堅一族でも4分の1が戦死者に。7月29日、9度目の防衛戦が小倉で行われた。対するは世界ランク1位のペドロサ。一族も集まりテレビで試合観戦。具志堅が勝利するも、ノックアウトはできず。
沖縄出身のボクシング世界チャンピオン・具志堅用高。所属する協栄ジムには、第二・第三の具志堅を目指す沖縄出身の選手が複数いる。敗戦後、各地にいた具志堅一族は故郷・崎原に戻った。直後、土地は米軍に接収され、入植以来85年・3代にわたって生きてきた故郷は廃村に。このころ海洋博も行われ、一族の象徴だった墓を移転させる話もあったという。
沖縄出身のボクシング世界チャンピオン・具志堅用高。10度目のタイトル防衛戦に挑んでいたころ、同姓同名の親族・用高が米寿の祝を迎えた。崎原から初めて本土に渡り、戦争、戦後の廃村などを経験してきた人物。具志堅にとって支えになっているのは「ないちゃー(本土人)には負けられない」という信念。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年5月3日放送 21:05 - 21:55 NHK総合
太陽の塔 消えた顔を追え(太陽の塔 消えた顔を追え)
万博記念公園の事務所が保管する資料を改めて調べ直すと、これまでないと言われてきた当時の図面が見つかった。見つかった図面は計3枚で、寸法や材質などの情報が書き込まれていた。設計図の中には「いのり」という言葉が見つかった。福岡は、岡本太郎が2度訪れ「生命のノスタルジアを覚える」と書き残した沖縄の久高島へ向かった。島に点在する御嶽と呼ばれる祈りの場で、心を揺さぶら[…続きを読む]

2024年8月29日放送 14:20 - 14:50 NHK総合
列島ニュース(沖縄局 昼のニュース)
本部町の海洋博公園内にある海洋文化館は、県内各地に伝わる“漁労”の歴史や海洋文化などを調査・研究している。今月25日には「祭りのなかの漁労」をテーマにイベントを開き、多良間島と久高島で行った漁労の調査について研究員が写真や映像を交えて訪れた人たちに解説した。この中では毎年旧暦の5月頃に多良間島で行われる「スツウプナカ」と呼ばれる祭りについて、豊作や豊漁に感謝[…続きを読む]

2024年8月26日放送 8:15 - 9:55 NHK総合
あさイチ(特集)
大吉は、「つながっていた友達半分は亡くなったけどね」というのはなかなかすごく重い言葉だと思うなどと話した。米兵の気持ちを知ることができたが、一方で、米兵による性暴力事件が基地側があることによって起きていることは現実としてある。

2024年8月15日放送 5:00 - 6:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(特集)
沖縄戦で最後の激戦地となった糸満市摩文仁を歩くフィールドワークが行われた。参加者たちが見つめたのは、79年前に起きたことを今に伝える、数々の痕跡だった。4時間歩くという平和学習としてはハードな行程。大学生や平和ガイドなど50人あまりが、79年前のこの季節、この場所を逃げた住民たちの足跡をたどった。見えてきたのは、たしかにここが戦場だったという痕跡。遺骨収集を[…続きを読む]

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