関ヶ原の戦いの3ヶ月前、徳川家康は上杉を討つために出陣すると、石田三成は家康の拠点だった伏見城を包囲した。発掘調査から巨大な石垣、堀で守られていたとされ、石田三成、三河武士らの屋敷があった。家康は出陣により、政権の中心ともいえる伏見城を手薄にすることで、三成の攻撃を誘ったといえるという。城を任されていたのは鳥居元忠で、「どうする家康」では音尾琢真が演じている。約2300の兵士で城全体をカバーすることは難しく、天守などに兵を集めて守りを固めた。4万の西軍を10日以上、足止めしたが、元忠は伏見城で戦死。その後、徳川は関ヶ原の戦いで勝利を収める。