東京・世田谷区にあるハッピーミール株式会社の関社長が次の依頼人。会社は「マサラドライブ」などのデジタルコンテンツを手掛ける。子どもの頃からファミコンなどが好きで、その頃に遊んだテイストのゲームを作りたいと新作「OMEGA6」が発売された。中古のゲームソフトをコレクションしており、全てのソフトに持ち主の名前が裏に入っている。社長はこうしたゲームを自身のHPで公開しており、元の持ち主が希望すれば返却するという。依頼品はブリキ玩具メーカーに関するもので、妻の祖父がブリキ玩具メーカーの創業者だという。
依頼品は玩具メーカー「吉屋」の「ブリキ玩具8点と箱絵の原画7点」。1950年代につくられた物だという。昭和16年に太平洋戦争が勃発し、ブリキ玩具の製造が全面禁止され姿を消した。しかし終戦の4ヶ月後に玩具職人の小菅松蔵が進駐軍のゴミの中にあった空き缶でブリキのジープを製造し、京都の百貨店で販売。動力は輪ゴムという素朴な作りだったが、2ヶ月間で10万個を売り上げた。これを機に玩具業界が息を吹き返すと、GHQはアメリカへの輸出を奨励。萬代屋(後のバンダイ)など玩具メーカーが誕生した。依頼品のメーカー「吉屋」もそうしたメーカーの一つで、依頼人の義理の祖父にあたる大久保恵司が東京・蔵前の玩具店で修業を積んだ後に1951年に創業した。オリジナリティ溢れる玩具を量産し長年業界を牽引。しかし昭和50年代になるとソフトビニールなどの玩具が主流となり、吉屋は歴史に幕を下ろした。依頼品の中に含まれる「プラネットロボット」は会社を代表するヒット作。SF映画「禁断の惑星」に登場するロボットをモチーフにしたもので、様々なタイプが作られた。今回の依頼品には試作品も含まれている。いずれの玩具も未使用品。玩具の箱絵の原画7点は全て手書きで、アメリカへの輸出用だったため英語表記。
依頼品は玩具メーカー「吉屋」の「ブリキ玩具8点と箱絵の原画7点」。1950年代につくられた物だという。昭和16年に太平洋戦争が勃発し、ブリキ玩具の製造が全面禁止され姿を消した。しかし終戦の4ヶ月後に玩具職人の小菅松蔵が進駐軍のゴミの中にあった空き缶でブリキのジープを製造し、京都の百貨店で販売。動力は輪ゴムという素朴な作りだったが、2ヶ月間で10万個を売り上げた。これを機に玩具業界が息を吹き返すと、GHQはアメリカへの輸出を奨励。萬代屋(後のバンダイ)など玩具メーカーが誕生した。依頼品のメーカー「吉屋」もそうしたメーカーの一つで、依頼人の義理の祖父にあたる大久保恵司が東京・蔵前の玩具店で修業を積んだ後に1951年に創業した。オリジナリティ溢れる玩具を量産し長年業界を牽引。しかし昭和50年代になるとソフトビニールなどの玩具が主流となり、吉屋は歴史に幕を下ろした。依頼品の中に含まれる「プラネットロボット」は会社を代表するヒット作。SF映画「禁断の惑星」に登場するロボットをモチーフにしたもので、様々なタイプが作られた。今回の依頼品には試作品も含まれている。いずれの玩具も未使用品。玩具の箱絵の原画7点は全て手書きで、アメリカへの輸出用だったため英語表記。