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「能登半島地震」 のテレビ露出情報

5月4日に石川県・志賀町で開かれた「二十歳のつどい」。式典冒頭には能登半島地震の犠牲者に黙祷が捧げられた。当初は1月7日に行われる予定だったが元日に震度7の地震が発生し、4か月遅れで開催。式典が終わると同じ地区の仲間で久しぶりに集まり、福塚悠人は夕方に開かれる 小学校の同窓会の幹事を務めている。同窓会の1ヶ月前に実家に帰省していた福塚さんを取材。地震の影響で家の壁は今も剥がれたまま。小学校の同窓会幹事を務めた福塚悠人さんは金沢から帰省中に被災。ライフラインは止まり毎日、給水所へ行く生活が続いたという。その後、金沢に戻ったが時折ふるさとを訪ね復興を見守っていた。そんな中、役場の担当者から「二十歳のつどい」を5月に開催するという知らせが。幹事となった福塚悠人が最初に取り掛かったのは同窓会の会場探し。向かったのは志賀町の施設で広さや音響機材など申し分ない場所だった。建物が歪み施設の主な営業は中止の状態で同窓会で使うのは難しいという声もあったが、ここを使いたいこだわりが。専門の業者から安全の確認を取り、貸し出しの許可を貰う事が出来たという。
同窓会の2人目の幹事である中林由季さんは京都から帰省中に被災。幹事としての役割はグループラインで同窓会への参加を呼びかける事。中林さんは小学生の時を思い出せるようメインイベントにタイムカプセルを計画した。迎えた同窓会の当日は会場に同級生が35人中27人が参加。同級生に怪我人は無く無事に再開し、開会の挨拶は幹事の福塚さんで話の中心は今の生活について。仕事の事や彼氏と彼女の事など、この時は被災した事を忘れて語り合っている。その様子を会場の片隅では数人の親達も見守っており、同窓会の開始から30分に福塚さんが動きタイムカプセルの企画を始める事を伝えている。タイムカプセルといえば校庭から掘り出すのがよくあるやり方だが準備されたのは段ボールに入った缶。小学6年生の時に思い出の品を詰め専門の業者に保管していたという。缶の周りには友達からの寄せ書きがビッシリ書いてあり、全員の缶の中には親から子どもに宛てた手紙も入っている。代表として幹事の1人である中林由季が母親から貰った手紙を読み上げ、手紙には当時の母親の胸の内が綴られていた。締めくくりは幹事の福塚さんが行ったという。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年9月28日放送 12:40 - 12:45 NHK総合
Nスペ5min.(Nスペ5min.)
300人以上が犠牲になった能登半島地震。この地震は科学者たちの想定を大きく超えるものだった。田村修次教授が注目したのは横倒しになった7階建てのビルでガラスは大体残っていて、さらに建物の損傷に比べ杭基礎と呼ばれる構造物が大きく壊れていた。リスクは能登半島以外の全国にも広がっている。軟弱地盤とされる東京は首都直下地震による被害想定では軟弱地盤に建つビルの杭基礎へ[…続きを読む]

2024年9月28日放送 5:15 - 5:30 TBS
皇室アルバム(皇室アルバム)
9月12日天皇皇后両陛下と愛子さまは静養のため那須御用邸に向かった。夕方3人で御用邸の敷地を散策した。
9月5日彬子さまは京都産業大学で講義を行った。彬子さまは日本文化を次世代に伝える活動に取り組んでいる。講義では皇室の方々が伝統的に食べている食べ物について話した。
8月18日佳子さまは全国高校生手話スピーチコンテストに出席し能登半島地震で被災した人たち[…続きを読む]

2024年9月28日放送 3:25 - 4:20 フジテレビ
FNSドキュメンタリー大賞FNSドキュメンタリー大賞
石川さんは自宅横の長い階段をのぼり毎日かかさずに上まで歩くが、歩くことは報道写真家としての石川さんの活動を支えている。20年前には歩いて日本を縦断する旅の挑戦し北海道から沖縄まで3000キロを超える道程を歩き、現場を訪れることを第一にしてきた。今年1月に起きた能登半島地震。発生から1ヶ月後に取材に向かった石川さんはその現場を写真で撮影した。これまでも東日本大[…続きを読む]

2024年9月27日放送 20:45 - 21:00 NHK総合
首都圏ニュース845(ニュース)
石川県ではことし1月の能登半島地震で被災した建物の解体工事に伴う災害廃棄物の処理が課題となっている。こうした中、都は国と石川県からの依頼を受けてきょうから都内3か所の清掃工場などで災害廃棄物の受け入れを始めた。このうち大田区の清掃工場ではトラックのコンテナに積まれたおよそ16トンの木くずなどが工場のバンカーに投入されていた。都は鉄道貨物で運ばれてきた災害廃棄[…続きを読む]

2024年9月27日放送 20:00 - 21:48 テレビ朝日
タモリステーションコンビニ誕生50年…総力特集
1995年1月17日、阪神・淡路大震災で市街地の一部は甚大な被害を受けた。ローソンでは多くの店が地震翌日から営業を再開。ローソンの営業再開はダイエーグループの創業者・中内功の「ライフラインとしての役割を果たす」という号令によるものだった。2002年、ローソンは当時の経験から制作したCMを放送。2011年3月11日、東日本大震災で津波に襲われた「ローソン 亘理[…続きを読む]

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