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「全国戦没者追悼式」 のテレビ露出情報

石破首相の記者会見。戦後80年で所感を発表となり「なぜあの戦争を止めることができなかったのか」については「あまり触れられていない」などと話した。「国内の政治システムはなぜ歯止めたりえなかったのか」については「当時の大日本帝国憲法・政府・議会・メディアそれぞれに問題があったものと考えている」とのこと。大日本帝国憲法の下では「文民統制」は存在しなかったという。政党間の政権争いが激化する中で政党は次第に国民の信頼を失っていった。1930年代になると野党・立憲政友会が海軍の一部と手を組んだりし、1935年には美濃部達吉氏の天皇機関説について立憲政友会が政府攻撃の材料として非難したとのこと。議会についても軍に対する統制を果たすべきという機能を失っていき、斎藤隆夫衆議院は戦争泥沼化の批判をして政府を厳しく追求したが陸軍は激しく反発をして辞職を迫られ多くの議員は同調し除名されてしまったという。背景には政治的なテロというものがあり、多くの政治家が青年将校らにより暗殺されてしまっていた。それらの事件が軍の政策や予算について、本音で自由に議論をして行動する環境を損なっていく。1920年にはメディアは日本の対外膨張に批判的で石橋湛山は有名な植民地を放棄すべきであると論陣を張ったが、戦争報道が売れナショナリズムは高まっていった。その後言論統制は強化され政策への批判は封じられ、戦争を積極的に支持する論調が支配的になっていく。加えて情報収集・分析の体制も問題があった。日本国憲法の下では「文民統制」制度として整備する必要があり、無責任なポピュリズムに屈してはならないとのこと。また国の進むべき針路の誤った歴史を繰り返してはならず、過去を直視する勇気と誠実さが大切だという。質問の時間となり、所感発表の意義について歴史認識は今までの談話踏襲であるなどと話した。続きはNHK ONEのニュース・防災アプリで引き続きお伝えするとのこと。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年9月13日放送 4:50 - 5:20 テレビ朝日
テレメンタリー2025(テレメンタリー2025)
浜松大空襲で九死に一生を得た木津正男さんは98歳。当時18歳、軍の仕事を請け負う技師だったため出征は免れた。住民避難を誘導し家に帰ってきたところ、ナパーム弾を被弾。5ヶ月間にわたり生死をさまよい、背中に刺さった爆弾の破片は手術でも取り出せなかった。これまで国に補償を求めてきたが、議員や大臣には話を聞いてもらえず。国は旧軍人や遺族に総額60兆円の補償をしている[…続きを読む]

2025年9月12日放送 15:50 - 19:00 日本テレビ
news every.(ニュース)
天皇皇后両陛下と愛子さまが長崎県を訪問された。平和公園の慰霊碑に花を供え、拝礼された。6月に初めて沖縄を訪問された愛子さまは、遺族らの声に耳を傾けられた。7月に両陛下は、天皇皇后として初めて日本人抑留者を慰霊された。ご一家は午後4時過ぎに長崎原爆資料館を訪問。愛子さまは、被爆当時の状況について積極的に質問された。

2025年8月24日放送 5:45 - 6:00 フジテレビ
皇室ご一家(皇室ご一家)
8月15日、天皇皇后両陛下は全国戦没者追悼式に臨まれた。80年前の正午、昭和天皇の玉音放送で戦争の終結が告げられた。政府主催の戦没者追悼式が初めて行われたのは昭和27年5月2日、日本が主権を回復して4日後のことだった。戦後70年の式典で、上皇さまは初めて「深い反省」という言葉を使い、犠牲者を悼まれた。戦後80年にあたり、両陛下は各地で慰霊を続けられていて、沖[…続きを読む]

2025年8月24日放送 5:45 - 6:15 日本テレビ
皇室日記(皇室日記 拡大版)
太平洋戦争では日本人だけでも310万人が犠牲となった。上皇ご夫妻は戦火の及んだ国へ足を運ばれ、親善に努めてこられた。戦後生まれの天皇皇后両陛下には戦争の記憶を次世代に継承させたいという思いが込められている。沖縄では遺族の慨嘆に両陛下、愛子さまで向き合われた。

2025年8月23日放送 5:15 - 5:30 TBS
皇室アルバム(皇室アルバム)
終戦の日の8月15日、天皇皇后両陛下は全国戦没者追悼式に出席。戦没者の遺族など4500人が全国から参列。両陛下は正午の時報で黙祷され、戦後80年の節目に平和への思いを新たにされた。
7月11日、秋篠宮ご夫妻は佳子さま・悠仁さまと共に都内で行われた原爆写真展へ。会場では、市民や報道カメラマンが記録した写真160点が公開されている。秋篠宮さまは「こういったこと[…続きを読む]

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