当時の病院内を克明に記録した貴重なビデオが残っている。なだれ込むように傷病者を運び入れる医師や看護師たち。実質的に島で唯一の救命救急病院だった兵庫県立淡路病院には、地震発生から2時間がたった頃から搬送が相次いだ。あちこちで心肺蘇生法=CPRが実施されていく。野戦病院と化し、混乱を極める救急外来。医師の一人が撮影したこの映像は、震災発生当日の救急医療の現場を映した唯一の映像とされている。当時3年目の内科医で、この日は当直明けだった水谷和郎さんは、あの日の院内の光景が脳裏から離れることはない。生死の境界線を引く過酷な決断を前に生じたためらい。そんなとき一人の医師の声が響いた。現場の指揮を執っていた外科部長の松田昌三さんが蘇生を中止するよう命じた。